【童話】星のかけら(8)月山さんのプレゼント・その1、星のかけら(9)月山さんのプレゼント・その2、星のかけら(10)月山さんのプレゼント・その3、 星のかけら(11)メルヘン美術館、星のかけら(12)アルムのなやみ・その1 コラムニスト : 和泉糸子

【童話】星のかけら(8)月山さんのプレゼント・その1、星のかけら(9)月山さんのプレゼント・その2、星のかけら(10)月山さんのプレゼント・その3、 星のかけら(11)メルヘン美術館、星のかけら(12)アルムのなやみ・その1
コラムニスト : 和泉糸子

3人組はこのノートをログハウスに持ち帰り、本だなから辞書を出して来て、一所けん命に読みました。
むずかしい字も多く、何と書いてあるのか分からないような大人の字だったので、苦労して読みました。学校の宿題をするときよりも、ずっと真けんに、相談しながら、この作業に取り組みました。
小人の秘密は大人には教えられない。たとえ、パパやママにでも牧師先生にでも。だから、自分たちの力でこのノートに書いてあることを理かいしなければならない。赤や緑や青の玉のことが書いてある。そして、ぼくたちはそれを持っている。月山さんはビタエの友達だったんだ。テレパシーが使えるんだ。
3人は、読み進めるごとにうなずき合いました。「テレパシーって超能力(ちょうのうりょく)だよね」と、ケンタがかくにんしました。
「月山さんって、ただものじゃなかったんだね」。ユキトも言いました。
シュンスケは、あの物静かな、背の高い月山のおじいさんが、実はとてもすごい人だったんだなと思いました。
「ビタエさんっていくつなんだろう。おじいさんじゃなくてわかいよね」とユキトが言いました。絵にかかれたころは月山さんと同じくらいの年だったはずのビタエさんは、月山さんがおじいさんになっても、まだわかい姿だった。小人と人間は年の取り方がちがうのかもしれないと、シュンスケも思いました。
3人はおべんとうを食べてから、もう一度アトリエにもどりました。地下室をくまなくたんけんしたけれど、新しい発見はありませんでした。
「小人に会うには、地下室に行きなさい」と月山さんは書いてくれましたが、地下室に行っても小人には会えませんでした。発見したのは小人の住まいのあとと、たくさんの絵と、ノートだけでした。
3人は地下室の入り口のかぎを閉めて、じゅうたんを前のようにのせ、アトリエをあとにして、アジサイの木の下のモニュメントをさがしました。アトリエの近くの大きなアジサイの木の下には、小さな黒い石の十字架(じゅうじか)が立っているだけでした。あのノートを読まなければ、そこが小人のおはかであることはだれにもわからないだろうと、シュンスケは思いました。
そして、夕方になり、3人はバスに乗って帰ることになりました。シュンスケがノートをあずかって、コピーする、そしてそれを3人が持っていることに決めました。そうやって、みんなで時間をかけて、小人に会うにはどうしたらいいのかを考えようという約束をしました。
ログハウスのかぎとアトリエのかぎはユキトがあずかっておじさんの牧師先生に返しました。シュンスケは月山満のノートと地下室の入り口のかぎを箱に入れて、だれにも見つからないようにしまっておく役目を引き受けました。(つづく)
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コラムニスト : 和泉糸子

★星のかけら(8)月山さんのプレゼント・その1
春休みになりました。もうすぐ4年生になると思うと、シュンスケは大人になるような気がしました。ワクワクするような、それでいてちょっとこまった感じもしていました。これからは週2回塾(じゅく)に行くことになっていますし、スイミングにも行っていますし、友達と遊ぶ時間がへるかもしれないなあと、それがこまったの、中味でした。
ところが、ある夜のこと、ビッグニュースが飛びこんできました。
月山さんが教会にきふをした。お金ではなくて、山の中の土地と建物を教会の大人と子どもが使うように、プレゼントしてくれたのだそうです。
月山さんはまだ頭がぐんとはっきりしていたときに、ゆいごんを書いていました。ゆいごんというのは、自分が死んだあと、こうしてほしいとたのむ手紙です。むすめさんが、お父さんが生きているうちにその願いを実現してあげようと考えて、シュンスケのパパに相談したのだそうです。
月山さんの1人むすめはレナさんという人で、シュンスケのパパの友達でした。イギリス人と結婚(けっこん)して、結婚式のころは月山さんも奥さんもまだ元気でしたから、ロンドンまで出かけたのです。レインボー・ホームに入ったことを聞いて、心配になったのでしょうね、ひさしぶりにレナさんが帰国したのです。
シュンスケのパパは司法書士(しほうしょし)のお仕事をしていましたから、相談を聞いてあげました。どういうわけか、月山さんがあの土地と家を教会におくるのを早くしてほしいと、何度もはっきりした声で、レナさんに頼んだらしいのです。
月山さんの住んでいた家は別のところにありましたけど、もう一けん山の中に家があって、そこは、教会の子どもたちが夏期学校で遊んだり、大人の人たちが集まったりするのにもちょうどいい場所だから、自分が生きているうちに、この話を進めてほしいと熱心に頼んだそうです。
レナさんは日本にいる間、月山さんを住んでいた家に連れて帰り、お世話をしました。わずか1カ月でしたけど、月山さんは喜びました。そして、山の中のもう一けんの家にも車を借りて、連れて行ってあげたのです。そこはもともと月山さんのおじさんがくらしていた家でした。おじさんは月山満(みつる)という絵かきさんで、少しは名の知られた人でしたが、結婚しませんでしたので子どもがなく、その家と土地は月山さんが相続したのです。
山の中の家ですから、不便な場所です。アトリエと2階の住まいのほかは、広い庭があるだけでした。その庭に月山さんはログハウスを建て、奥さんのピアノも運び、2人で静かな時をすごしていた時期もありました。奥さんのぜんそくの持病に、山の空気がいいだろうということで、ひと月の半分くらい山の家ですごすこともあったようです。
けれど奥さんの病気が重くなると、便利な町中の家に帰り、奥さんが亡くなると、もう山の家に行くことも無くなりました。
山の家に着くと、月山さんはたいそう喜びました。アトリエの中にも入り、この家と土地を生きている間に教会にプレゼントしたいと言いだしたのです。
レナさんがシュンスケのパパに相談に来たのは、そういうわけだったと、シュンスケは教えてもらいました。
そしていろんな手続きが終わって、山の家は教会の持ち物になったのです。
その上、月山さんは、アトリエのかぎを、ユキト、シュンスケ、ケンタの3人の子どもたちに渡してやってほしい。最初に子どもたちにアトリエを見せてやってほしいと、言われたのだそうです。
「あの子たちに手紙をもらったから」・・・そう、月山さんが言ったという、レナさんの伝言とかぎをあずかっているけど。「一体どんな手紙を書いたのかい?」
「うん、それは秘密。3人組の秘密だから、パパにも言えないよ」。シュンスケは、早く2人に知らせなくちゃと、その晩、なかなか眠れませんでした。
そして、3人組は山の家にやってきました。1時間に2本しかバスがやって来ない不便な場所です。自転車で行こうかと相談していたら、あぶないからやめなさいと言われ、行きがけ、牧師さんが車で送ってくれました。
帰りはバスで帰るからと、おべんとうと水とうをもってピクニック気分で3人は大喜びでした。バス停までは20分も歩くのです。でも、もうすぐ4年生になるので、それくらい平気でした。
「こまったことがあったら電話しなさい」。牧師さんはそう言って帰っていきました。ログハウスのかぎを開けてくれ、もちろんアトリエのかぎも渡してくれました。3人とも携帯(けいたい)電話をもっています。山の家でも携帯電話は通じるのです。
ログハウスの電気もアトリエの電気も、もうつくのです。水道も使えます。おまけに冷ぞう庫にはお茶やミネラルウォーターも入っています。ログハウスに持ちものを置いて、3人はアトリエに急ぎました。
シュンスケがかぎを開けました。電気をつけて、部屋を見回すと、机の上に手紙が置いてありました。「小人に会うには、地下室に行きなさい。これが下におりる階段の場所とかぎです」。紙の下の方にアトリエのスケッチと階段の場所が書いてありました。そして、セロテープでかぎがはりつけてありました。
大きな少し曲がった字でした。
「月山のおじさんが書いてくれたんだ」。子どもたちはむねが熱くなりました。スケッチは、色えんぴつで書かれたとてもわかりやすい、きれいな絵でした。
階段のある場所には、小さめのじゅうたんがしかれていました。じゅうたんをのけなければ入り口は分かりません。あとで、元通りにしておこうと、シュンスケは思いました。そしてかぎを開けて、板を上にはね上げると、階段が見えました。階段の上の方に電気のスイッチがありました。3人組はおそるおそる階段を下りていきます。
地下室はしめったにおいがします。長い間使われていなかった部屋です。それに窓がありませんから、決して気持ちのいい場所ではありませんが、小人に会えるかもしれないと思うと、ワクワクしますし、ドキドキもしました。
けれどすみずみまでさがしても、どこにも小人はいません。大きな木の机といすが4つ。机の上にはノートのようなものが置いてありました。
そしていろんな場所に絵が立てかけてあります。
「小人の絵だよ。3人いる」「お父さんとお母さんと子どもなのかなあ」「このお父さんの顔、ビタエさんに似ているような気がしない?」
右下にM.Tというサインがありました。
「この絵も小人の絵だよ」。そこには子どもの小人が笑っている姿がえがかれていました。テーブルを囲んで小人の家族が食事をしている様子。ベッドで眠っている子どもの姿。何かを作っている老人の姿。10枚ほど置かれていた、がくぶちもついていない油絵はどれも、小人をかいたものでした。
「小人に会えるってこの絵のことなのかなあ」。シュンスケは思いました。
その時、「ここに来て」というユキトの声がしました。すみっこの暗いあたりの方から聞こえます。
「この奥にも部屋がありそうだよ」
シュンスケとケンタが飛んでいくと、ユキトがアコーディオン・ドアをゆっくりと開けました。そこにはミニチュアセットのような、小さなものがいっぱいありました。
小さなテーブル。小さないす。小さなベッド。小さなソファ。小さなコップ。小さなお皿。
「小人の家だ」「でも小人はどこにいるんだろう」
見回しても、姿は見えません。それに、よく見るとテーブルにもお皿にもほこりが積もっています。
3人はあきらめて、元の場所にもどり、机の上のノートを開きました。(つづく)
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◇1944年生まれ、福岡市出身。1965年、福岡バプテスト教会で受洗、のちに日本基督教団の教会に転入し、Cコースで補教師試験に合格。1996年より我孫子教会担任教師、2005年より主任担任教師となり、20年間在職。現在日本基督教団隠退教師。
九州大学文学部卒業。東京都庁に勤務後、1978年より2002年まで、船橋市で夫と共にモンテッソリー教育を取り入れた幼児教育や、小中学生対象の教えない教育という、やや風変わりな私塾(レインボースクール)を運営。
童話「星のかけら」は、小学生の孫のために書いたものですが、教会学校の子どもたちが少なくなっている今、お話を通して教会や神様に少しでも出会える場が与えられればうれしいです。

★【童話】星のかけら(9)月山さんのプレゼント・その2 
コラムニスト : 和泉糸子

3人はあきらめて、元の場所にもどり、机の上のノートを開きました。
「このノートに書かれていることは本当のことだと思う人には本当のことです。でも、ただのお話だと思う人には、ただのお話になるかもしれません」と、1ページ目に書かれていました。
「私(わたし)が小人の家族と出会ったのは、まだ私が画学生だった頃(ころ)、今から50年も前のことであった。小人の家族は3人。お父さんとお母さんと男の子。ある雨の激(はげ)しい夜のこと、私は紫陽花(あじさい)の木の下に濡(ぬ)れながら立っているこの一家に出会った。私は夢見がちな若者(わかもの)だったから、彼(かれ)らに出会ったことがたいそううれしかった。天からのプレゼントのように感じて、彼らをすぐにアトリエの中に招(まね)き入れた。彼らも私をひと目で気に入ってくれたらしく、それから私たちは毎日楽しく過(す)ごすようになった。
私の住まいは2階に粗末(そまつ)なベッドのある寝室(しんしつ)があるだけで、台所と風呂や便所は1階のアトリエの奥にある、なんとも殺風景な場所であったけれど、小人の一家が来たあとからは、とても楽しい住まいに変わってしまった。
小人のために私は作業をした。小さなベッドやテーブルや椅子(いす)を作った。それは私にとって楽しい時間だった。布(きれ)や綿(わた)を用意したら、小人のお母さんが布団(ふとん)やクッション、自分たちの着る服を作った。皮を用意したらお父さんが靴(くつ)を作った。小人たちは昔から大変器用な職人(しょくにん)だったが、この家族もまた、祖先(そせん)たちに負けず立派(りっぱ)な職人だった。私のために錫(すず)で蝋燭(ろうそく)立てを作ってくれた。きれいな音の出る小さな鐘(かね)も作ってくれた。
そうそう、小人たちの名前を記しておこう。お父さんはテラ、お母さんはルー、そして男の子はビタエ。彼らには名字は無い。
そのうちに戦争が始まり、この田舎(いなか)にも疎開(そかい)する人たちが増(ふ)えてきたので、万一のために私は小人たちを地下室に移(うつ)し、人の目に触(ふ)れないようにかくまうことにした。私は結核(けっかく)を患(わずら)ってようやく治ったばかりであったので、戦争に行くことも無く、山の中で絵を描(か)いて過ごすことができた。
病気になったときには、なんと自分は不幸であろうかと思ったものだが、空気の良い山の中にアトリエを建て、いざという時には地下室を防空壕(ぼうくうごう)として使うこともできたのだから、感謝(かんしゃ)しなければならない。私は早くに両親に死に別れ、たった1人の弟は戦争に行き、消息不明であったから、小人の家族は私にとって新しい家族のように思われたのだ。
彼らは実に気持ちのいい人たちであった。小人は歴史のはじめの頃に神様が造(つく)られた人たちであったらしい。その頃は巨人(きょじん)もいたという。しかし、地上では、そういう古い人たちの子孫はだんだん絶(た)えていき、伝説として聞くしかない時代になってきたのだが、運のいいことに私は彼らにめぐり合い、小人の家族と私とは、まことに麗(うるわ)しい交わりをもった、幸せな生活をすることができた。戦争という悲惨(ひさん)で悲しい中であってもであった。
そのうちに戦争が終わり、平和が戻(もど)ってきた。弟はアメリカの捕虜収容所(ほりょしゅうようじょ)に入れられていたのだが、無事に帰還(きかん)してきた。彼はその地でキリスト教の信仰(しんこう)を与えられて、別人のようになって帰ってきた。奥さんと10歳(さい)になっていた1人息子の常雄が、疎開(そかい)先から引きあげて来て、私と同じ県内に住むようになると、甥(おい)の常雄が、わたしのアトリエをたびたび訪(たず)ねてくるようになった。彼は絵が好きで、わたしに絵の手ほどきをしてほしいと頼んだ。
画家としてやっていくのは大変であるけれど、趣味で描く分にはよかろうと思い、私は彼と一緒(いつしょ)に絵筆を取った。
そんなある日に、常雄はたまたま小人の家族に出会ってしまった。常雄は子どものビタエにとって初めての友達になった。彼らはまたとなく気があって、人間と小人という境(さかい)を越(こ)えた友情(ゆうじょう)をもち、そのうちにどうした次第なのかはっきりしないが、テレパシーのようなもので互(たが)いに離(はな)れていても通信できるようにさえなった。
わたしはもともと風景画や、抽象(ちゅうしょう)画を描く絵描きだったが、小人の家族の姿をどうしてもカンバスに留(とど)めておきたいという願いが強くなり、しかも、それとわからないままに世間にその姿を示したいという欲(よく)も出て来て、展覧(てんらん)会に出したところ、高い評価(ひょうか)を与えられた。それ以来私はメルヘンの画家、小人の世界を描く画家として知られるようになっていった。
そうこうしているうちに、小人の父テラが亡くなった。しばらくして後を追うように母ルーも亡くなった。残されたのはビタエ1人になった。
わたしはビタエが哀(あわ)れだった。何とかして生き残った仲間がいるのなら探(さが)し出して一緒に暮(く)らせるようにしてやりたいと思った。その頃、常雄は大学を卒業し、技師として勤(つと)め始めていた。
ある秋のこと、常雄が山の中を歩いて測量(そくりょう)をしていたとき、不思議な石を見つけたのだ。赤や青や緑の透(す)き通った丸い石であった。きれいなものだから、久しぶりに私のところに来て、ビタエにお土産(みやげ)に渡(わた)したところ、ビタエの顔色が変わった。
この石のあったところに連れていって欲(ほ)しいとビタエはせがんだ。これまで隠(かく)れて生活していたのに、どうしても行きたいという。私たちはビタエを籠(かご)の中に隠して、車でそこまで出かけた。山奥の人気(ひとけ)も無い場所であったが、私は籠をかかえて、常雄の後について行った。
石のあった場所の奥は洞穴(ほらあな)になっていた。そして、そこには別の小人たちが住んでいた。ビタエはそうやって仲間を見つけ、彼らと行動を共にすることになった。赤や青や緑の石は小人同士の通信装置(そうち)であることが分かった。私たちはいざという時のために石で通信するやり方を習った。ビタエと常雄の間にはテレパシーのような通信方法も残されていたが、私はそのやり方は生涯(しょうがい)できなかった。
そうやってアトリエの地下室は、主人公の小人たちを失ったメモリアルの場所になった。私たちは初めて小人に出会った紫陽花の木の下にモニュメントを建て、テラとルーのなきがらを、木の棺(ひつぎ)に納(おさ)めて葬(ほうむ)った。両親の墓地(ぼち)と地下室の住まい、この2箇(か)所がある限り、ここはビタエにとって大切な場所であり、他の誰(だれ)もが踏(ふ)み入れることのできない聖域(せいいき)なのだ。
だから私はこの敷地(しきち)とアトリエを常雄に贈与(ぞうよ)することにした。彼なら私の気持ちが十分(じゅうぶん)に理解(りかい)できるだろうから。しかし、もし、もっと時がたって、常雄も天に召(め)されるようなときに、この場所に来て、このノートを読む人がいたら、私の手記をメルヘンの1つと思ってくれてもいい。本当にあったことだと思ってくれてもいい。どちらであっても、この場所を大切に思ってくれるのなら、どんなにうれしいことだろう。
そろそろ私の人生も終わりに近づいてきたようだ。私は孤独(こどく)ではなく楽しい生涯(しょうがい)を過ごすことができたことを、神に感謝したい。
月山(つきやま) 満(みつる) 記す」
3人組はこのノートをログハウスに持ち帰り、本だなから辞書を出して来て、一所けん命に読みました。(つづく)
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★【童話】星のかけら(10)月山さんのプレゼント・その3 
コラムニスト : 和泉糸子

3人組はこのノートをログハウスに持ち帰り、本だなから辞書を出して来て、一所けん命に読みました。
むずかしい字も多く、何と書いてあるのか分からないような大人の字だったので、苦労して読みました。学校の宿題をするときよりも、ずっと真けんに、相談しながら、この作業に取り組みました。
小人の秘密は大人には教えられない。たとえ、パパやママにでも牧師先生にでも。だから、自分たちの力でこのノートに書いてあることを理かいしなければならない。赤や緑や青の玉のことが書いてある。そして、ぼくたちはそれを持っている。月山さんはビタエの友達だったんだ。テレパシーが使えるんだ。
3人は、読み進めるごとにうなずき合いました。「テレパシーって超能力(ちょうのうりょく)だよね」と、ケンタがかくにんしました。
「月山さんって、ただものじゃなかったんだね」。ユキトも言いました。
シュンスケは、あの物静かな、背の高い月山のおじいさんが、実はとてもすごい人だったんだなと思いました。
「ビタエさんっていくつなんだろう。おじいさんじゃなくてわかいよね」とユキトが言いました。絵にかかれたころは月山さんと同じくらいの年だったはずのビタエさんは、月山さんがおじいさんになっても、まだわかい姿だった。小人と人間は年の取り方がちがうのかもしれないと、シュンスケも思いました。
3人はおべんとうを食べてから、もう一度アトリエにもどりました。地下室をくまなくたんけんしたけれど、新しい発見はありませんでした。
「小人に会うには、地下室に行きなさい」と月山さんは書いてくれましたが、地下室に行っても小人には会えませんでした。発見したのは小人の住まいのあとと、たくさんの絵と、ノートだけでした。
3人は地下室の入り口のかぎを閉めて、じゅうたんを前のようにのせ、アトリエをあとにして、アジサイの木の下のモニュメントをさがしました。アトリエの近くの大きなアジサイの木の下には、小さな黒い石の十字架(じゅうじか)が立っているだけでした。あのノートを読まなければ、そこが小人のおはかであることはだれにもわからないだろうと、シュンスケは思いました。
そして、夕方になり、3人はバスに乗って帰ることになりました。シュンスケがノートをあずかって、コピーする、そしてそれを3人が持っていることに決めました。そうやって、みんなで時間をかけて、小人に会うにはどうしたらいいのかを考えようという約束をしました。
ログハウスのかぎとアトリエのかぎはユキトがあずかっておじさんの牧師先生に返しました。シュンスケは月山満のノートと地下室の入り口のかぎを箱に入れて、だれにも見つからないようにしまっておく役目を引き受けました。(つづく)
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★【童話】星のかけら(11)メルヘン美術館 
コラムニスト : 和泉糸子

「月山満」という名前をパソコンに打ちこんだユキトは「メルヘンの画家・・・小人のいる庭」という言葉を見つけました。「月山満メルヘン美術館」という言葉も見つけました。パソコンの画面を印刷してもらうと、「あら、教会の近くなのね」とママが言いました。
「この人、どういう人なの」「教会に家をプレゼントした人のおじさんなんだよ」
「小人の庭か、ロマンティックね」と、ママが言いました。
早速シュンスケとケンタに「月山満メルヘン美術館」のことを携帯電話で知らせると、いっしょに行こうということになりました。
「連休に行ってもいい? シュンスケやケンタたちと」
「あの子たちと、すごく仲がよくなったね。いい子たちだから行ってもいいけど、ママはいそがしいから、おじさんの所に連れて行ってあげられないと思うよ」
「大丈夫。1人で行けるから」
そういうわけで5月の連休に、ユキトは1人で電車に乗っておじさんの家に出かけ、3人組はまた活動を始めることになりました。
「月山満メルヘン美術館」は、教会からバスで30分ぐらいのところにありました。海が見える小高い丘の中ふくにあり、入り口に「みさき町立美術館」と書いてあります。ラッキーなことに、小学生は無料で入場できるのです。
中には小人の絵がズラリとならんでいました。地下室にあった絵と同じような作品や、庭で遊んでいる子どもの絵もたくさんありました。その中にとても大きな絵があり、そこには小人と遊んでいる人間の子どもがかかれていました。小人は木の上にすわっているようでした。
「あれはビタエと月山さんだよ」と、ユキトが小さな声で言うと、きっとそうだとシュンスケもケンタもうなずきました。「アジサイの木だよ、これは」。シュンスケが言うと、ほかの2人も同意しました。
この庭は、ぼくたちの秘密の庭とそっくりじゃないか。月山満さんは空想ではなく、本当のことをかいたにちがいないと、ユキトは確しんしました。あのノートに書いてあった通りだ。それなら、赤い玉と青い玉と緑の玉で小人と通信できるというのも本当にちがいない。でも、どうやって・・。
3人はいったん美術館を出て、おかのちょう上に続く遊歩道を歩きながら相談しました。3人で行動するときには、もらったプレゼントをふくろに入れて身につけていることに決めていたので、だれもいないあずまやのいすにすわって、それぞれがふくろから取り出して、テーブルの上に3つならべて置いてみましたが、何の変化もありませんでした。
ユキトは赤い玉を2つに分けて置いてみました。シュンスケも青い玉を分かいしました。ケンタも同じように緑の玉を2つにしました。そうやってみても、何も起こりません。
だめだなあ、なんかヒントがあればいいのに。あきらめてふくろにもどそうとしたところ、ふくろの中の何かに指が当たりました。取りだすと、貝のような色をした小さなかけらでした。ああ、これは子どもの小人にもらったものだ。
「これなんだろう」。ユキトがつぶやくと、みんなも自分のふくろから小さなかけらを取り出しました。アルムとブランとグリー。あの子たちは「また会えるかな」って聞いたら、こう言ったよね。ユキトが口にする前にシュンスケとケンタが「きっといつか」と、声をそろえました。
「もしかしたら、この貝がらのかけらのようなものが大切な役わりをするんじゃないかな」「そうかもしれないけど、わかんないよ」
ユキトは2つにわった赤い玉の間に貝のかけらを入れてみました。ぴったりとはしまらなかったけれど、いろいろ動かしていたら、カチャリという音がしました。そして、「君はだれなの」という声がしました。
「ぼくはユキト」「君はアルムなの、ブラン、それともグリー?」
「ユキトか。ぼくだよ、アルム。君は今1人かい、どこにいるの?」
「シュンスケもケンタもいっしょにいる。月山満メルヘン美術館のうら山のあずまやの中」
「じゃあ、青い玉も緑の玉もそこにあるんだね。そばにだれもいないかい? だったらほかの玉も同じようにしてみて」
シュンスケとケンタはそれぞれの玉の中に貝のかけらを入れ、カチャっと音がするまで動かしてみました。
すると、いつか見たようにあわい色の道ができて、消えたかと思うと、テーブルの上にアルムとブランとグリーの姿がありました。
「また会えたね。ちっとも連絡がないから、わすれられたのかと思ってたよ」と、丸いぽちゃぽちゃした顔立ちのブランが言いました。
「これはぼくたちと連絡できるそう置だけど、君たちがぼくたちのところに来るのは、かんたんじゃないんだよ。ビタエ様の力が無いと、ぼくらには無理」と、小人としても小がらな感じの色の白いグリーが言いました。
アルムは子どもたちの中のリーダーのような、落ち着いたがっしりとした体かくの小人でした。前には、そんなによく観察するひまもなかったけれど、この子たちも3人組で仲良しなんだなあと、ユキトは思いました。
「月山さんがぼくたちの教会にアトリエやログハウスのある土地と建物をプレゼントしてくれたんだよ。ビタエさんが子どものころにすごした思い出の場所は、ぼくたちが守るから安心してくださいと伝えてね」とユキトは言いました。
「アトリエの地下室やメルヘン美術館でたくさんの絵を見たよ。ビタエさんと月山常雄さんがかいてある絵も見たんだよ」と、シュンスケが言いました。
「それにアジサイの木の下の大切な場所のことも秘密にするから、安心してくださいって」と、ケンタも言いました。
「ビタエ様は月山さんに聞いたって教えてくれたよ。きっとそのうちに、君たちが連絡してくるから、待っていなさいって言われた」。アルムが言うと「待ち長かったぜ」とブランが言いました。
「ぼくたち、がんばったんだよ」「ヒントが少なすぎるし」「やっとなぞがとけた」「いつでも君たちと連絡できるんだね」。3人組は口ぐちに言いました。
「いつでもってわけじゃないし、どこででもっていうわけにもいかないけど、場所や時によっては、通信できることもあるって感じかな」「だってぼくたちだっていつも見はってるわけにもいかないだろ」と、小人の3人組も言いました。
そういうわけで、あたたかい5月の午後、それぞれの3人組は、いろいろな話をして大いにもり上がりました。けれど下の方から声がしてきて、だれかがやって来る気配を感じると、「じゃあ、またね」とアルムたちの姿は、消えてしまいました。
いいお天気の連休だから、遊歩道にだれかがやって来るのは当たり前だったけど、ちょっぴり残念でした。
3人組はもう一度メルヘン美術館に入り、一つ一つの絵をかん賞しました。月山画伯(がはく)の絵はやさしく、語りかけているようでした。
小人と人間は友達だ。住む世界はちがっても、分かりあえる友達だ。この庭には温かい思いが満ちている。それが、みんなの心を打ち、なんだか分からないけれど、ほっこりとしたよいんを体の中に残してくれる。メルヘンであり、けれど、ただの物語ではない世界をぼくたちは生きているんだなと、ユキトは思いました。
もう一度小人の国に行きたいなあ。ビタエさんがしょうたいしてくれないかなあ。アルムたちに頼めばよかった。今度頼んでみよう。そう思いながら、また電車に乗ってユキトはわが家に帰りつきました。(つづく)
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★【童話】星のかけら(12)アルムのなやみ・その1 
コラムニスト : 和泉糸子

アルムは人間の世界に行ってみたかったのです。
この前、あずまやの中でほんの少しの時間3人組に会ったけれど、もっと本かく的に旅をしてみたかった。ユキトって子に頼んでみようかな。あの子のおじさんは牧師さんだそうだから、カンサイさんのことを知っているかもしれないじゃないか。グリーはいいよな。お父さんもお母さんもそろっていて。ブランのように1人ぼっちじゃないけれど、ぼくもお父さんの行方が知りたい。
アルムは思いにふけっていました。
ぼくは、この新天地に来て平和にくらしているけれど、もしかしたら、お父さんは人間の世界で苦しんでいるのかもしれない。きっと生きているはずだ。でもお父さんの消息は分からない。病気になったり、けがをしたりして動けなくなったのかもしれない。あの時お母さんが苦しんでいたように。
おチカさんは元気だろうか。親切にしてもらったなあ。あのおばあさんは、ぼくたち小人のことを変な目で見ないで、弱っているお母さんをかいほうしてくれたし、ぼくのことも大事にしてくれた。
「ぼっちゃん、元気を出すんだよ。わたしゃあ、学はないけど、あんたたちのことをおかしくなんて思ってやしないよ。神様は大きい体も小さい体も、いいように作ってくださったのだから、きっと、あんたたちにも、いいことをたくさんしてくださるはずだよ」。そう言って世話をしてくれ、元気になったぼくたちを、行商の軽トラックに乗せて、カンサイさんの所に連れて行ってくれた。
カンサイさんはぼくたちを一目見るなり、山の中に連れていき、黄色い玉を取り出して、仲間のところに連絡をしてくれた。背の高い目の大きい、いくつなんだろう、年齢不詳(ねんれいふしょう)のおじさんだった。大きな声でよく笑い、ぼくたちをはげましてくれた。あの人は牧師さんだと、ビタエ様が教えてくれた。でもそれ以上のことは分からない。
ビタエ様はお父さんを探(さが)す旅をゆるしてくださらないにちがいない。変な人間に見つかったらどんなことになるか、ぼくだって知っているけれど、もうすぐぼくだって大人になる。そんな予感がしているから、今のうちにお父さんを見つけに行きたい。
ぼくたち小人は、毎年、1つずつ年をとるというんじゃなく、ある期間同じじょうたいが続いて、急に大きくなる。体がじゃなくて、年がということだけど、竹の子がにょきっと大きくなるように、急に大きくなる。気がついたら大人になっている、そんな感じなのだけど、今じゃないけど、もうすぐという予感がする。そうなったら、もう子どものようにのんきにしてはいられないじゃないか。この新しい国では働き手がたくさん必要だということは、ぼくだって分かっている。
おチカさんは山のふもとに住んでいた。田んぼや茶畑のある、のどかな田舎(いなか)で、軽トラックに品物を積んで、売る仕事をしていた。お年よりが多くて、バスも無いし、お店も遠い。そんな不便な土地だったから、おチカさんの軽ト