「慎みの神学」『礼拝の生活』再考その78

1972年2月27日
『礼拝の生活』78号

(巻頭言)「役員改選総会を前に」 

すでに、何回も報告されてきましたように3月5日午後一時半から、1972年度の教会役員改選総会が開かれようとしています。このために、私たちは祈ってきました。
さらに、ロマ12章、Ⅰコリント12章、エペソ4章などを特に味わい、最後の備えをしたいものです。

ここでは、ロマ12章から、いくつかの点を学びます。
まず、ロマ11章36節から12章2節までが、私たちの大きな目標である礼拝の生活の基盤となる聖句である事実を、再確認する必要があります。

12章3節以下は、礼拝の生活を現実に進めて行くために、パウロが与えている現実的な忠告とも見ることができます。パウロの忠告の第一は、「思うべき限度を超えて思い上がらず」、「神がおのおのに分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深い考え方をしなさい」(3)ということです。「慎み深い考え方」とは、具体的には、教会が「キリストにあって一つのからだ」(4)であることを見ぬくことです。つまり、教会全体に対する洞察です。
次に、キリストにあって一つのからだに属するものとして、キリスト者ひとりびとり互いに器官であることを知らねばなりません。キリスト者ひとりびとり、「与えられた恵みに従って、異なった賜物を持っている」(6)のです。つまり、キリスト者各自に対する洞察です。
こうして、教会全体とキリスト者各自に対する洞察がなされるとき、そこに選出が成り立つのです。単なる形式としてではなく、礼拝の生活の大切な要素としての選出が。

★ローマ13章3節の「慎み深い考え方」については、後に、Ⅱテモテ1章7節を中心に、「慎みの神学」として、それなりに深め展開しました。(参照「臆病の霊ではなく慎みの霊」
宮村武夫著作Ⅰ『愛のわざとしての説教』275頁以下)。

 個と全体の生きた理解のもと、「慎みの神学」が真に積極的な生き方として、さらに具体的に検討実践されて行くよう次の世代に期待します。n>