『礼拝に生きる民 説教申命記』三題

『礼拝に生きる民 説教申命記』三題
1)『存在の喜び』のもう一人のセールスマンとして 
小海キリスト教会の水草修治牧師は、神学生時代から、「『存在の喜び』のセールスマン」と呼ばれるのを受け入れ、気に入っているとまで公言、そのように実践して下さっています。今まで先生の真意を私は十分理解してこなかったと最近教えられています。

 『礼拝に生きる民 説教申命記』刊行の困難を通して、今まで受けてきた恵みを当たり前と感謝の乏しい自分の姿に気付かされています。
 今までの私の出版にかかわる活動は、いのちのことば社の依頼により執筆するのが大半です。原稿を渡せば、後は編集や販売の一切は、ことば社の方々が、忠実に真実に汗をかいてくださっていたのです。その恵みの事実を十分感謝していなかったのです。

 小さな悔い改めの一歩として、まずは『礼拝に生きる民 説教申命記』のセールスマンとなり、『存在の喜び』のもう一人のセールスマンとなろうと心定めているところです。

(2)大竹堅固兄の勧め

 8月19日、聖望キリスト教会の主日礼拝の報告の時間に、責任信徒である大竹堅固兄が、『礼拝に生きる民 説教申命記』を優れた説教集、読みやすいと教会の兄姉に勧めてくれました。
 大竹兄は、私の中学1年のクラスメイトであり、現に私たちの住居の大家です。
日本経済新聞出版局の編集者であった大竹兄は、実に辛口で、私にとって貴重な存在です。その彼が、『礼拝に生きる民 説教申命記』は歯っかけ説教集などでなく、読みやすい優れた説教集と認めてくれたのです。どちらの評価が妥当か、今後半年間の時の流れを注意したいのです。

(3)申命記と沖縄 

今回、『礼拝に生きる民 説教申命記』刊行実現の喜びの一つは、細田浩弁護士の巻末エッセイ「出会いものがたり」が、ようやく世に出たことです。
 2009年10月に原稿依頼後、早い段階に送られてきた原稿は、その後放置された状態で、私の心の苦しみでした。

 ですから二人して、「とに角良かった」、「夢がかなった!」と喜びを共有しています。
先日で電話で話しながら、細田兄は、『礼拝に生きる民 説教申命記』では、申命記と共に沖縄に焦点が合わされていると指摘されました。
 本当にそうだなと私も気付き同意しました。感謝。