「私の『愛する医者ルカ』三人」

「私の『愛する医者ルカ』三人

沖縄での25年の生活において、主にある医療従事者との交わりは、人間と人間の交わりの喜びを味わい、それぞれの役割に従事する励ましの恵みの機会でした。
 今クリスチャントゥデイの働きにおいても、多様な医療従事者との交わりの広がりを通して人間と人間の交わりの豊かさを、さらに味わい、交わりの波紋の広がりに参与し続けたいのです。
  
                        コロサイ4章14節
(1)序
  3人の医師、それは以下の方々です。
武田裕子(日本同盟教団 土浦めぐみ教会教会員、現順天堂大学医学部教授)
中島 聡(沖縄・なかまクリニック院長、日本福音キリスト教会連合 首里福音教会教会員)
宮城航一(無教会那覇聖書研究会会員、オリーブ山病院院長、)
 
(2)3人のいずれの方も
 3人のいずれの方とも、親しい方々の紹介により、主にある出会いを経験し、沖縄での生活のなかで友愛を深め続ける恵みを与えられてきたのです。

中嶋聡兄の場合は、一枚の葉書が
  1990年月に受け取った一枚の葉書が、とても大切な役割を果たしてくれました。
「頌主
  いろいろな資料をお送りくださり、ありがとうございます。
  このところ超多忙で、十分に学びや思考作業ができず、あせっています。
  中嶋先生は、高田牧師からも同じく首里の教会を勧められ、住所も近いので、そこに出席するつもりでおられるようです。
  住所は、左記の通り、七月に移ると聞いたように記憶しております。
 ・・・」
  八王子キリスト福音教会の荒井隆志牧師からの葉書です。
 荒井牧師とは、八王子と青梅の近隣牧師同士として、親しい交わりを重ねていました。
 特に、荒井先生の著書、『病気の時にどう祈るのか』の出版をめぐっては、私たちの間には、忘れ難い思い出あります。それは、また別の神の恵みの物語です。

②宮城航一兄の場合は、農愛高校の存在が
1986年4月、私どもの沖縄移住にともない、大きな犠牲を払ってくれたのは、私どもの愛犬・くまと長男忍望でした。
くまについては、一度じっくり書きたい、書かねばならないと思いながら、今もって
果てぬ夢となっています。
 
当時忍望は、三重県の農愛高校に在学中でした。
理想を胸に農愛高校に入学してみると、そこで出会う学校の事態と明らかになる自らの姿の二つながらに直面し、一時は中退をも考えたのでした。
彼が望みをつないでいたのは、やがて卒業後青梅の地に戻る日への期待でした。
それなのに、父親の思いのままに(少なくとも忍望から見れば)、家族が青梅を後にして、沖縄へ移住するとは。彼が受けたショックと犠牲、その事実の上に私たち家族の沖縄移住は実現したのです。
 
 そのような現実の中で、全寮制の農愛高校で忍望の組み主任尾形松寿先生と晶子夫人が、忍望のために底に徹した祈りを注ぎ、配慮をなしてくださったのです。
 人として最も暗闇を歩むとき、晶子夫人が三重から東京羽村へかけてくださった一通の電話、その尊さを私は一生忘れることはないでしょう。
 この尾形ご夫妻が、沖縄行ったら是非訪問するように勧め、宮城航一・さゆりご夫妻を紹介してくださったのです。
 農愛高校を抜きに、宮城航一医師との出会いは有り得ない。これは厳然とした事実です。

③武田裕子姉の場合は、一組のご夫妻が
武田裕子姉の場合は、表面的には誰かの紹介で出会ったのではありません。
しかし武田姉が最初に電話を下さった背後に、とても深いかかわりを持つご夫妻の存在がありました。
土浦めぐみ教会の朝岡茂・満喜子ご夫妻です。
私たち二組の夫妻は、日本クリスチャン・カレッジの学生時代に、学年を越えて主にある友情の絆で結ばれ、朝岡茂牧師召天後もその友情は、深められ続けているのです。
たとえば、朝岡夫妻の次男・勝牧師は、今回賛同人となってくださっています。

 昨年、今年と続けて訪問し宣教を担当した宮崎北聖書キリスト教会
同教会の海老原牧師は、武田裕子姉の高校時代の英語の教師で、何かと熱心に質問をしてくる彼女を家庭集会に招き、やがてキリスト信仰へ導いた方です。
 編集実務委員会の一人水草修治先生が、土浦めぐみ教会の朝岡ご夫妻との絆のゆえに、海老原ご夫妻と私ども二人とも主にある親しい友人となっている。この事実を知って、先日・9月9日にメ―ルを送ってくださいました。
 「・・・この度は私たちが大好きな水草先生のすばらしいお証しの文章をお送りくださり、ありがとうございました。
『この世界は狭い』と言いますが、『広い』とも言えますね。
水草先生の文章を読みながら、山下(武田姉の旧姓)裕子さんを連れて土浦に朝岡先生をお訪ねした(筑波大医学部に入学のため)頃のことを思いだし、
その頃、水草先生(同じく筑波大の学生)が土浦におられたこと・・・
そして宮村先生(水草神学生、朝岡牧師の配慮で青梅キリスト教会への派遣神学生)との関わりと・・・
本当に不思議なように神様の手の中にある私たちの営みのことなどを思わされています。・・・」

(3)三人の中で、今回は
 以上のような経過で出会った、私の「愛するルカ」三人の医師それぞれと掛け替えの無いともなる歩みを続けています。まことに感謝です。

今回は、中嶋聡兄の場合を報告します。
 中嶋ご夫妻が沖縄に移住なさったのは、私の躁鬱の状態がかなり重くなった最初の頃でした。中嶋兄と私たち夫婦は個人的に面談し、勤務病院で診察を受ける決心をしたのです。しかし実際は心理的な壁を、君代姉の支えでやっとの思いで乗り越えての診察でした。
こうして中嶋兄は、私の主治医になったのです。
やがて私たちの関係に一つの節目が訪れました。なかまクリニックを中嶋兄が開院することになったのです。その出発にあたって、その後私たちの心に残り続ける、ことばのやり取りをしたのです。
ある青年の納骨式のために、首里福音教会の教会墓地の前に集まっていた際にです。
 「なかまクリニック、そこで中嶋先生は先生の牧会をなさいます。
  私は、その牧の羊の一頭・一人であることを、誇りに思っています。」
 
もう一つの節目は、2007年と2008年と、続けて二冊の著書を中嶋兄が出版されたことをめぐってです。
最初の著書は、『ブルマ―はなぜ消えたのか』と、ちょっと風変わりな題名の本です。
その「おわりに」において、中嶋兄は記しています。
「・・・関西学院大学社会学部教授・宮原浩二郎氏には、社会学の立場から諸々の点についてご教示いただいた。またとくに第四章「「性同一性障害」をめぐって」の執筆にあたっては、首里福音教会名誉牧師・宮村武夫氏より貴重なご教示をいただいた。両氏に深く感謝する。」
 宮村が何を教示したか、上記の文の直前で中嶋兄は示唆しています。
「・・・また「性同一性障害」は、聖書的立場、つまり聖書を誤りのない規範と認める立場から論述している。これはクリスチャン以外の人には共有されない立場だと思うが、この立場を含めての主張が私の論旨なので、それを共有しない方にはその立場を批判的に読んでいただければいいと考えた」とあります。
 そうです。「聖書的立場、つまり聖書を誤りのない規範と認める立場」こそ、毎週の主日礼拝の宣教を中心に宮村が中嶋兄に伝達し、中嶋兄がしっかりと受け止めた恵みです。
創造者の説明書である聖書を眼鏡(めがね)として、創造された万物、当然人間・私を直視するのです。そうです。沖縄で聖書を読み、聖書で沖縄を読む道です。

 同書の書評を、地元の新聞・琉球新報に載せて頂きました。
「書評 中嶋聡『ブルマ−はなぜ消えたのか』
『諦めから立ち上がる、一臨床医の提言』
著者は、1955年生まれ、那覇市にて「なかまクリニック」を開業する臨床精神科医
女子のブルマ―姿を見て、ドキドキした中学生・高校生の頃の体験を持つ。
ところが、こともあろうに、1995年頃を境に、あのブルマ―が急激に少なくなり、ついに消え果てしまう。
時代が変わったのだ、仕方がないと著者は,諦めの境地に陥っていた。
しかし臨床医に徹する著者は、「なぜ」と内なる問いに促され、ブルマ―の消滅とそれに関連する社会現象をじっくり診察し、独自の治療方法を提示する。
診察内容は、「王様は裸だ」と、叫んだアンデルセンの童話『裸の王様』の少年を思い出させる。
自分の目で、人権と偏見、性同一障害、セクハラ、タバコと禁煙運動、インフォームド・コンセントなど生の現実・社会現象を見定め、レッテルや時代の風潮に流されない。なによりもイデオロギ―に逃げ込み現実から目をそらして、あることをないかのように。ないものをあるかのようにする知的誘惑と戦いつつ著者は診察をなし続けていく。
著者の治療だが、「辺縁」という見方・考え方を用いて提示している。
「中心的で主なる場ではないが無視できないような場が存在」(93頁)する事実に著者は注意を払う。そして中心的・本質的な意味や性質ではない、そのような場や味わいを一般に「辺縁」と呼ぶ。この視点から、セクハラ、タバコと禁煙運動、インフォームド・コンセントなど具体的な社会現象について、精神的健康や健康的な社会生活を送るために役立つ微妙な側面を切り捨てない道を指し示している。そのためには、誤解を恐れずに強者の論理とも思える表現(たとえば、[被害者帝国主義])さえ用いて。
この「辺縁」に注目し続け、「人間の生の、生き生きとしたありかたを尊重する社会」(201頁)を維持し、積極的・意志的に作って行こうと著者は本音で呼び掛けている。治療を受ける者も医療従事者も同じ人間「なかま」だとの強い確信に基盤を置くクリニックでしなやかな実践を続けながら。
(宗教法人センド国際宣教団日本派遣会主事
  宮村 武夫)」

二冊目は、「『心の傷』は言ったもの勝ち」、新潮新書の一冊、それも話題作として版を重ねています。
私ども夫婦が特に興味深かったのは、最後の7章精神力を鍛えようの項目の一つ、
「精神力を鍛える七つのポイント」です。
 以下の七つのポイントをあげ、それぞれに読者の立場に立ち中嶋兄は的確な勧めをなしているのです。
 1.何事も人のせいにしない。
 2.おおざっぱでよいとする。
 3.「忘れる」能力を身につける。
 4.
辛いときでも相手の立場に立つ。
 5.不可能と決めつけない。
 6.自分を超える価値のために生きる。
 7.時にあって、全力を尽くす。
 君代姉が言うのです。そう言われれば、そうかなと私も同意しました。
これらのポイントは、その言い回しと内容を含めて、1986年4月以来首里福音教会の主日礼拝で宣教されてきたメッセージの響きを伝えている、特にその伝道的面と深い所で一致してると受け止めたのです。
 そこで、私は見定めるのです。
 中嶋兄は、なかまクリニックで牧会を日々続けている。
それに加えて、著書を通して、伝道説教をより広い範囲でなしている。
優れた牧会者が、優れた伝道者でもあるのは、この場合も当然なことではないか。

(4)集中と展開
①集中
 私の「愛する医者ルカ」三人に心を集中しようとするとき、ルカについての古くから広まっている伝承に引き付けられるのです。その伝承とは、こうです。
ルカかそ、ルカの福音書1章3節と使徒の働き1章1節に見る、
ヘレニズム・ローマ世界の身分の高い高官・テオピロに差し上げている人物だとの言い伝えです。
「私も、すべてのことを初めから綿密に調べておりますから、あなたのために、順序を立てて書いて差し上げるのがよいと思います。尊敬するテオピロ殿。」(ルカ1章3節)。
「テオピロよ。私は前の書で、イエスが行ない始め、教えはじめられたすべてのことについて書き、お選びになった使徒たちに聖霊によって命じてから、天に上げられた日のことにまで及びました。」(使徒の働き1章1,2節)。
上記に見る「私」は、ルカであり、テオピロは実在した人物、これこそ私にとり一番納得しやすい説です。
 ここに浮かび上がってくるのは、この一人のためなら、ルカの福音書使徒の働き・こんな綿密な書を二冊も書くことを厭(いと)わない、ルカの姿です。
そして全く同じ心を持って生き、一人の患者いや人間に面と向かっている三人の姿です。
そうです、私のような小さきテオピロに対する中嶋兄、宮城兄、そして武田姉の言動、彼らの生活・生涯。
パウロとともに、「愛する」と力を込めざるを得ないではありませんか。

②展開
 一人の実在の人物・テオビロに徹底してかかわるとき、そこに恵みの波紋が広がるのです。テオピロも注がれた愛に応答します。自分に差し出された書を大切に保存し個人的に活用しただけではないのです。
 一冊一冊と写す写本の作成に、地位と財力を注ぐのです。こうして今日私たちの手元にまで届く、まさに恵みの波紋、恵みの展開です。

小さきテオピロ私でも、「一寸の虫にも五分の魂」です。 
2009年9月4日(金)診察室での診断の時間に、前もって送っていた以下の概要・アウトラインについて短く確認しました。
著作集刊行のため準備により今まで書き続けてきたものを回顧する中で、残された生涯のテ―マを私なりに展望し始めていると、中嶋兄に報告したのです。

(1)課題、からだの贖い、からだのよみがえり
以下の三つの箇所に代表される、私たちの生身のからだとその贖い・復活を正面から見定める作業の実践。

①ロ−マ8章23節
 「そればかりでなく、
  御霊の初穂をいただいている私たち自身も、
  心の中でうめきながら、
  子にしていただくこと、
  すなわち、
  私たちのからだの贖われることを待ち望んでいます。」

②ピリピ3章20節
 「キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。」


使徒信條の頂点・まとめ
   「・・・罪のよるし、からだのよみがえり、とこしえの命を信ず。ア−メン。」

(2)課題に対処する方法論、二つの対話を通して
①エイレナイオスとの対話を通して
 今までの学びの回顧・まとめ
『異端駁論』をめぐり、対グノ−ス主義(からだの軽視、無視、さらにからだに対する敵視)に焦点を合わせながら、明確な自覚をもった今後の学びと表現・発表。

②私の「愛するルカ」三人を中心に、信頼する医師の方々との群れの対話を継続。
 自分なりの思索をパソコン通信で伝達、批判、助言など応答を受ける。
その繰り返しを通して、課題を深く、豊かに理解する道を求める。  

「愛する医者ルカ、それにデマスが、あなたがたによろしくと言っています。」
(コロサイ4章14節)」