精神科医中嶋聡兄と患者宮村武夫の二人三脚 −「牧会」の本来の、深い、豊かな理解と実践を求めて−
精神科医中嶋聡兄と患者宮村武夫の二人三脚
−「牧会」の本来の、深い、豊かな理解と実践を求めて−
牧会は、牧会者である牧師だけがするとの狭い、一面的な理解と主張が幅を利かせている現状に違和感を覚え続けてきたのです。
これに対比して、私なりの理解と主張の要点を中嶋聡兄が、『愛の業としての説教』の帯に書いた推薦文で、私たちの理解と経験に基づき提示してくれました。
聖書に根拠
創世記2章15節 本来の人間
「神である【主】は人を取り、エデンの園に置き、そこを耕させ、またそこを守らせた。」
参照創世記3章18,19節 現実の人間
「3:18 土地は、あなたのために、
いばらとあざみを生えさせ、
あなたは、野の草を食べなければならない。
3:19 あなたは、顔に汗を流して糧を得、
ついに、あなたは土に帰る。
あなたはそこから取られたのだから。
あなたはちりだから、
ちりに帰らなければならない。」
マタイ11章28−30節
「11:28すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
11:29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
11:30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」
11章28節だけでなく、29,30節も。正しく、深く豊かに理解し実践。
28節が特定の人だけに限らず、すべての人に開かれているように、29,30節も同様。
中嶋聡兄の場合
「宮村先生は首里福音教会牧師時代、私たち教会員に、『持ち場立場でのそれぞれの活動が牧会である』と言われました。みことばに堅く立ち、それぞれの現場を大切にし、現実現場に即してものを考えようとする姿勢です。
ご自身の持ち場・沖縄を人一倍愛しつつ、曖昧な妥協を嫌い、先入観にとらわれずに社会や歴史を判断する強さをお持ちです。そんな先生の著作集に心から期待しています。」
中嶋兄は、なかまクリニック院長で沖縄時代宮村の主治医。また宮村が牧師であった教会の教会員であり役員、何よりも神の御前における人間と人間の20年以上にわたる交流を重ね、それは今も深みを増し続けています。
集中と展開
牧師の役割の一つ、しかも重要な一つは、教会員各自が日常生活で牧会できるような説教を、主日礼拝を中心に語り続け、結実を見ること。
その営みと、著作集の刊行が絡み合えれば幸いと制約の中歩みを続けて来ました。アーメン