ブログ「喜びカタツムリの歩み」アクセス110万回感謝ーインターネット活用の方向と歩調ー

ブログ「喜びカタツムリの歩み」アクセス110万回感謝ーインターネット活用の方向と歩調ー

 敬愛する水草先生の、「手取り足取り」以上の助け支えで、2012年3月14日
http://d.hatena.ne.jp/kimiyom/20120314/1331700306 ブログを開始、歩みを続けてきました。
 今回ブログ「喜びカタツムリの歩み」アクセス110万回、感謝です。

 ブログに続いて、
フェイスブック:2012年6月13日
https://www.facebook.com/takeo.miyamura.1/posts/117570851716303:1

ユーチューブ:2013日4月3日
https://www.youtube.com/watch?v=G4dttFiWxb8

さらに、今年4月になってホームページhttps://miyamuratakeo.localinfo.jpを開設しました。
自他ともに認める、様々な面、特に機械関係で不器用者の私が、このように表面的にはインターネットを活用しているように見えるのは、年齢と生涯をも考慮するれば、確かになかなかのことに見えます。
 
 しかしその実態は、時に応じた助けての支えによるのです。
すべてを失い何もできないように見えた際、あれもこれもできなくなったが何もできないのではないと欠如の恵みに支えられたのです。
 また方向と歩調について、出発点から自覚を与えられていたのです。

★ブログを始めた初期に、ブログについての感想をお伝えくださるように信頼する方にお願いしていました、K先生から以下のメールを頂き、今思い返しても心より感謝しています。
 K先生は、長年一貫してラジオ伝道の継続に従事なさり、福音を広く伝播させる働きに特別な賜物を与えられておられ、その賜物を活用なさってこられた方として、心より尊敬しております。

「・・・以前ブログの感想などを・・・とのことでしたが、
ほぼ毎日更新されていてさすがだなと思わされます。
ご自身の記録、日記的な感覚で、先生に学びたい方、また興味のある方々が自由に閲覧できるというおつもりでしたら、十分だと思います。

ただ、一般の方には意味がわかりにくいので、
たまたま立ち寄った方に継続して読んでいただくのは難しいし、
毎日閲覧するにはひとつのタイトルに対する文章が長すぎるというのが
率直な感想です。

さて、実りの秋となりました。
先生のお働きの中においても豊かな刈り取りの時となりますように
主の祝福を心からお祈りしております。・・・」

★私の応答
(1)20代からの私の歩みを、婦人特有の繊細さと深さで見、遠くから支えてきて下さった方に、「ほぼ毎日更新されていてさすがだな」と言って頂けるのは、やはり嬉しいことです。
さらに「ご自身の記録、日記的な感覚で、先生に学びたい方、また興味のある方々が自由に閲覧できるというおつもりでしたら、十分」との言葉に、「喜びカタツムリの歩み」の現在の方向と歩調に対する、ベテランの主の働き人からの認印の思いです。

(2)「ただ、一般の方には意味がわかりにくいので」は、急所をずばりです。
「たまたま立ち寄った方に継続して読んでいただくのは難しいし、毎日閲覧するにはひとつのタイトルに対する文章が長すぎるというのが率直な感想」とは、現代の路傍伝道としてラジオ説教に命を賭け、召天後何年も先生のラジオ説教が印刷され発表され続けている説教者と共に歩んだ方の言葉として重く受け止めます。
 確かに、この時点では、具体的にどのような方向と歩調と即断は出来なくとも、その後の歩みに示唆を与えてくれました、私なりに応答の過程です、感謝。

(3)「さて、実りの秋となりました。
先生のお働きの中においても豊かな刈り取りの時となりますように主の祝福を心からお祈りしております。・・・」
 宣教に生き、祈りに徹し続ける方からのエールであり、慰めです。

 今日も、あることで地位も、経済力もない者として、軽んじられる苦い経験をしました。
確かにそれも現実の一面です。
 しかし、同時に、「だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。」(マタイ6章24節)との主イエスの言葉に素朴に従い歩みを始め、続けている中で、K先生のような方との主にある信頼に満ちた交わり。これもまた天に宝を積むものとされた者の現実です。