Ⅱコリント 三つの個所の味読・身読 その1
Ⅱコリント 三つの個所の味読・身読 その1
★沖縄時代、オリブ山病院の若き婦長・天願悦子姉が、癌の再発で召されました。祈っていた末子の小学校入学後ではありましたが。
天願悦子姉の召天が一つの契機で、首里福音教会の主日礼拝のテキストとしてⅡコリントを選び、連続講解説教を続けました。
今、クリスチャントゥデイで、オリブ山病院関係の記事が、続けて掲載されています。感謝です。感謝の応答として、Ⅱコリント 三つの個所の味読・身読を。
『すべての慰めの神』
Ⅱコリント1章1ー11節
[1] 序
今朝7月の第一主日の礼拝から、Ⅱコリントの手紙を読み始めましょう。この3月まで主日礼拝で読み続けていました使徒の働きで見てきたパウロや同労者の宣教活動の描写が参考になることを願います。
(1)1節、Ⅱコリントの手紙は手紙。発信人パウロ、パウロが主イエスを伝える使徒とたてられたのは、「神のみこころによる」。パウロと兄弟テモテから、コリントにある神の教会への手紙。両者の背後にあって導き、また両者の交わりを支えておられる、主なる神ご自身。コリント教会は地域の教会との交わりの中で生きる。
(2)2節に見る手紙のはじめに記されるあいさつのことばが祈り。
続く3節、父なる神への賛美。この手紙そのものが、コリント教会の主日礼拝で読まれた可能性。コリント教会の人々は、主日礼拝を中心に歩みをなす礼拝の民。
(3)3節、主なる神をほめたたえる。その根拠として二つの点。
①3ー7節では、3節の「すべての慰めの父なる神」に示されている「慰 め」を鍵のことばとして、賛美と慰め。
②8ー11節、パウロのアジアでの経験を通して。
[2]賛美と慰め、3節ー7節
(1)3節、手紙のはじめに、主なる神への賛美のことば。その中で、主なる神について、どのようなお方か言い表しています。
①「主イエス・キリストの父なる神」、主イエスを通して、ご自身を 現らわされるお方。
②「慈愛の神」、相手の状態に対する深い理解。
③「すべての慰めの神」。4節以下で詳しく説明。「慰め」というこ とばは、3ー7節において10回も繰り返えされ強調。
(2)「すべての慰めの神」を、慰めを受ける側にも注目し、「神はどのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます」(4節)と言い換えています。
この苦しみの中で慰めを受ける経験は、「こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです」(4節後半)と波紋のように広がります。「どのような苦しみ」とあるように、苦しみはさまざま。その中で慰められた者として慰める者としてされて行きます。ここでの「慰め」とは、直面している苦しみ・「苦難に耐え抜く力」(6節、参照10節、パウロたちの経験)。
(3)5節、「キリストの苦難」。苦しみ・苦難について、主イエスの十字架の事実を通して理解する道。「慰めもまたキリストによってあふれている」とあるように、主イエスを中心に。パウロたちとコリント教会との交わりは、主イエスにある苦しみと慰めの両方を深くかかわるもの(7節)。
[3]パウロのアジアでの経験と祈り、8節ー11節
(1)パウロ自身に、8ー10節。
8節以下では、「どのような苦しみ」(4節)と苦しみ一般ついてではなく、パウロたちがアジアで経験した特定の出来事をパウロは実例として取り上げて、3ー7節で述べて来たことをさらに明らかに。
①パウロが取り上げいる。「アジアで会った苦しみ」(8節)は、どのこ とを指しているか意見が分かれる。しかし、「非常に激しい、耐えら れないほどの圧迫を受け、ついいにいのちさえも危なくな」(8節)る とあるように、パウロが福音宣教のために経験した厳しい苦しみの経 験。
②パウロは、この苦しみの経験が、主にあって目的を持つと理解し、「も はや自分自身を頼まず、死者をよみがえらせてくださった神により頼 む者となるため」と明らかにしています。。苦しみ、弱さの意味につ いて、10ー13章など手紙全体を通し明らかにされて行きます。 「死者をよみがえらせてくださった神」については、アブラハムの信 仰を参照(ロマ4章17節、「彼が信じた神、すなわち死者を生かし、無い ものを有るもののようにお呼びになる方」)。特に主イエスの死からの 復活の事実に根差す信仰。
③この厳しい経験の中で、パウロの祈りは答えられ、救い出される。「と ころが神は、これほどの大きな死の危険から、私たちを救い出してく ださいました」(10節)。この経験は、「また将来も救い出してくださ います」と、過去の思い出としてばかりでなく、将来についての確信 を与えられる機会。パウロは現在の希望・確信を、「なおも救い出し てくださいるという望みを、私たちはこの神に置いているのです」(10節)と明らかにしています。
(2)11節、コリント教会との関係、執り成しの祈りを中心に。
①8ー10節に記されている、パウロたちのアジアでの経験は、コリント 教会の人々とも深いかかわりがあります。コリント教会の人々は、「あ なたがたも祈りによって、私たちを助け協力」(11節)と、パウロたち の福音宣教に祈りを通してあずかっていました。
②「多くの人々の祈りにより私たちに与えられた恵み」(11節)とあるよ うに、パウロたちがアジアでの危機から救い出された背後に、コリン ト教会の人々の執り成しの祈りがありました。この危機からの救い出 されたことは、それですべてではない。このことを通して、「多くの 人々が感謝をささげるようになるため」とあるように、神への感謝が ささげられる機会として、さらに広がります。ここでもパウロが神へ の賛美、感謝を中心としていることが明らかにされています。
[4]結び。
今朝の箇所を通して教えられた幾つかの点。
(1)主なる神はどのようなお方か。3節で明らかにされている三つ。
(2)慰めと苦しみ・苦悩。
手紙全体でさらに詳しく展開していくが、その中心点が明らかに。
(3)祈り。
主なる神が執り成しの祈りを用いて、救いの御業を進められること。祈りが答えられることを通しても、主なる神への感謝の輪が広がる。