どんなことも起こり得る、私たちの生活・生涯の中で

どんなことも起こり得る、私たちの生活・生涯の中で

クリスチャントゥデイの映画「夜明けの祈り」をめぐるインタビュー記事。
どんなことも起こり得る、私たちの生活・生涯の中で、「24時間の疑問と1分の希望」と受け止める、静かな深い語り掛け。

どんな苦難も起こりうる世の中で、誰かのために祈る人に 鈴木秀子シスター推薦 映画「夜明けの祈り」
記者 : 守田早生里


鈴木秀子シスター=15日、聖心女子大学(東京都渋谷区)で
旧ソ連兵の蛮行によって妊娠させられた修道女の苦悩と、彼女たちを献身的に助ける若い女性医師マチルドの愛と勇気を描いた映画「夜明けの祈り」。公開を前に、鈴木秀子シスターに映画を鑑賞してもらった。シスターはベストセラー『9つの性格』(PHP研究所)など多数の著書を出すとともに、全国から講演会やワークショップに招かれ、キリスト教の垣根を越えて活躍している。
――映画を観た感想は?
私はこの映画を観て、まずヨハネ・パウロ2世を思いました。初めてのポーランド出身の教皇で、聖人のような生涯を送り、世界中に大きな影響を与えた1人です。苦しみの体験を経た教皇が全世界へ向けて発信したメッセージは、「どんな苦難も起こりうる世の中で、どう生きていったらよいか」という根源的な問題でした。それをこの映画は突き付けているように思います。
――映画の中で印象に残っているシーンは?
冒頭の、グレゴリアンチャント、真っ白で清らかな雪、そして子どもたちの無垢(むく)な姿を映したシーンです。悲惨なストーリーなのはあらかじめ知っていましたが、それらが、結末に向かっていく「浄化」を表していると感じました。ですから、わりと重い気持ちよりも明るい気持ちで観ることができました。
そして最後のシーンでは、雪の上に太陽の光が差すでしょう。太陽の光が見えるのは、この映画であの場面だけだったと思います。この最初の場面と最後の場面が呼応しているのは、非常に面白いと感じました。
――印象に残っているセリフはありますか。
「信仰は24時間の疑問と1分の希望です」という言葉ですね。信仰があれば迷いがないと思いがちですが、そうではなくて、信仰があるがゆえに迷うことはたくさんあるのです。たくさんある人間の弱さを、信仰があるがゆえにさらけ出さざるを得ないということを、この映画は修道院という背景の中で表現していると思います。
――修道院は規律を重んじる場所というイメージですが。
私も修道院にいた経験があります。以前は戒律が厳しく、ちょうどこの映画に出てくるように、ピューリタンの影響を受けて、人間よりも規律を重んじるような・・・。しかし、本来、修道院というのは、神様の愛を実感して、その愛を伝えるために祈る場所なのです。私たち一人一人が誰ももれることなく神様に愛されている存在であり、「私は、その1人であるあなたに会えることは喜びです」と伝え、誰かのために祈る生活をするのが修道者の使命です。生涯を通して、それが修道院の中にいても、外にいても、皆さん一緒ではないでしょうか。
――修道院の外で起きていることと中で起きていることの違いはありますか。
修道院の外で起きていることは、実は中でも起きています。「清貧」「貞潔」「従順」という3つの誓願を立てた者でも、映画の中にあるように大きな苦難に直面した時には、それが見事に蹂躙(じゅうりん)されて、人間の弱さが際立ってくる。その中でどのようにそれを乗り越えるかは一人一人違うのでしょうね。

© 2015 MANDARIN CINéMA AEROPLAN FILM / ANNA WLOCH
――絶望の中で、彼女たちの希望になったものとは?
あの女性医師マチルドです。彼女は信仰はなかったかもしれませんが、「人の命を救いたい」という使命があった。そして、この混沌(こんとん)としている状況の中で、彼女の使命感に満ちた行動が修道女たちの希望になるのですね。
――映画の中で修道女たちはさまざまな反応をします。妊娠したことが分かると、それをひたすら隠そうとしたり、ある人は修道院を出て母親になる道を選んだりします。もし現実にこのようなことが起きたら、先生ならどうなさいますか。
現実になってみなければ分かりません。しかし、あそこまで悲惨な状況にならなくても、生きていればたくさん悲しいことも苦しいこともあるじゃないですか。私がこの映画から学んだことは、「あの時、こういう行動を取ったらよかった。こうあるべきだ」ということは誰にも分からないということです。何に命を懸けるかということを、「24時間の疑問と1分間の希望」を持って考え続けていくことですね。
しかし、揺るぎないものは、「人が他を思いやる気持ち」「人の温かさ」ではないでしょうか。この映画でも、心の広いマチルドが献身的に修道女たちを助けることで、初めは頑(かたく)なだった彼女らが心を開いていきました。修道院のおきてなど知らないマチルドが、固い壁に囲まれた修道院に新しい風を吹き込んで、「互いに愛し合う」とはどういうことかを修道女たちは学び始めたのです。それは苦しみの中でも正しいことを選び取ることであり、修道院の厳しい戒律の中でも温かい愛を持つことです。それが最終的に信頼関係と助け合いにつがっていったのではないでしょうか。

© 2015 MANDARIN CINéMA AEROPLAN FILM / ANNA WLOCH
――映画の中で描かれている修道女たちの「母性」と「信仰」はリンクする関係にあるのでしょうか。それともこの2つは全く別のものなのでしょうか。
エスの母マリアは、母でありながら信仰を貫いた女性でした。おとめマリアでしたが、母でもあったのです。聖母マリアの中に母性と信仰の調和を見ることができると思います。1つの成熟した人間性の実例が聖母マリアですね。私たちも豊かな母性で、自分の子どもに対する愛よりももっと大きな母性をすべての人に向けられるような存在になりたいものです。その根底にあるのが信仰なのです。
――この映画は第二次世界大戦下で起きた惨劇を描いています。戦争は神様にとってどんな意味があるのでしょうか。
戦争の意味というのは、私にも分かりません。しかし、人間というのは、自分の意思に基づいていろいろなことを起こします。神様は、起きてくる出来事と人を通してご自分の愛を表されると思うのです。何が起ころうと、すべてに意味があるということです。そこにどんな深い意味があるのかをくみ取って、その体験をより良い人類になるように作り上げていくことが私たち人間の使命ではないでしょうか。長崎や広島のシスターの中にも、原爆を体験して家族を失うような悲惨な過去を持っている人もいます。しかし彼女たちは、自分の体験をもとに、二度と戦争が起きないよう一生をささげて祈る生活を選んでいるのです。
――最後に、読者へ「平和のメッセージ」を。
ちょっと横道にそれますが、1つのエピソードをご紹介しますね。ある若い男性が私のところに相談に来られました。お仕事が忙しく、なかなか家に戻ることができない中で夫婦関係がうまくいかなくなり、妻がうつ病を患って、子どもを虐待するようになってしまったのです。周りに助けてくれる家族もいない。妻は彼に「離婚したい」と言いました。彼も、彼女がそう望むならとそれを承諾し、子どもは児童養護施設に預けることにしたそうです。私は彼に言いました。「私は何か具体的なアドバイスをしてあげることも、助けてあげることもできないけれど、私はあなたとあなたの家族のために毎日祈ります」。すると彼は涙を流して、「この世の中に、私のために祈ってくれる人がいるなんて思わなかった。僕はその言葉を力に、これからも生きていきます」と言って帰られました。どうか皆さんも、誰かの幸せのために祈ろうではありませんか。
8月5日(土)ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか全国順次公開。