クリスチャントゥデイの本記事に鬼石の名を見、驚き、喜び、同時に心痛み、祈る

クリスチャントゥデイの本記事に鬼石の名を見、驚き、喜び、同時に心痛み、祈る

http://www.christiantoday.co.jp/articles/23739/20170512/silence-movie-catholic-hidden-christian.htm
北関東の渡瀬・鬼石キリシタン殉教者顕彰祭

 私自身、全部の記事に目を通すことが出来ない制約の中でも、クリスチャントゥデイの記事あの記事、この記事を読み喜び、学び、現実の悲惨に圧倒されたりなどしています。確かに、私の読書の営みの中で比重は、増すばかりです。そうした中で、本記事は、その中で鬼石の名を見、衝撃でした。

 そうです。1970年3月、埼玉寄居の教会の月報に、4月から青梅で生活するため移住する直前、記事・文章を最後に書いたのです。
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=980165248790188&set=a.508715392601845.1073741826.100003901676704&type=3&theater

「鬼石・松本夫妻訪問
 一月第三聖日の午後、鬼石の松本夫妻を訪問しました。
鬼石まだは、バスで一時間十分かかります。途中、児玉町の大通りをバスで通りながら、児玉町に教会のない事、そのために、七、八年前、当時野上町におられたフリーゼン先生や網先生が児玉町について種々調べられた事を思い出しました。中路先生と、児玉について話し合った直後だったため、どのような形でか児玉町で定期集会を持つ事が出来るようにとの数年来の願い、具体的な願いとなってきていたので、児玉町を見ながら、種々の事が頭に浮かんできました。
 児玉町から、鬼石町の間は、実に景色の良い所です。遠くには、雪化粧をした山脈が見えます。また、バスの窓から瞬間的に見える川が、実に印象的です。バスに揺られながらでなく、テクテク歩きながら、この景色を楽しむ事が出来たら、どんなにすばらしいだろうと思いました。
 鬼石についてしばらくして、迎えに来てくださった松本姉に案内されて、バス停から数分の夫妻の新居に着きました。
部屋には、以前から聞いていたように、ステレオとレコードが並んでいました。レコードと言っても、松本兄の興味を持たれているのは、バロック音楽、特に、ヨハン・セバスチャン・バッハのものだそうです。
 このあまり聞きなれないバロック音楽というのは、16世紀の終わり頃から、1750年までの音楽をいうのだそうです。ヨーロッパから輸入されるバッハや、さらには中世教会音楽の流れを示すドイツやオーストリア修道院聖歌隊によるものなどを聞かせてもらいながら、交わりの時を楽しみました。松本兄の家業の燃料、プロパンガスの仕事が、特に忙しい季節なので、普段はゆっくりも出来ないが、それでも夜遅くなって、中世教会音楽、バロックの音楽を楽しんでいるそうです。私も、数時間の交わりを通して、バロック音楽に対する興味を大いに刺激されされました。

 楽しい交わりの後、三人でピリピ人への手紙の印象深い聖句、
「あなたがたは、いのちの言葉を堅く持って、彼らの間で星のようにこの世に輝いている」(2:15)を味わい、松本夫妻が、鬼石の地で、この聖句を実現され続けるように祈りました。
 松本姉の用意されたとてもおいしいカレーライスを御馳走になってから、六時過ぎの寄居行き最終バスで帰ってきました。とても有意義な半日でした。
 児玉、鬼石など、寄居から、それ程時間のかからない所ですが、私たちの日常生活の感覚からは、かなり遠く離れているように思われます。それぞれの町に、主の光が輝き渡るように祈り続けたいものです」
       (寄居キリスト福音教会 『月報』19703月1日発行)。

 現在、児玉町に教会が存在し、この『月報』を謄写版印刷してくれていた、高校を卒業したばかりであったO兄と夫人は、そこに属し、私も、数年前、主日礼拝で宣教を担当をする、うれしい機会がありました。
 しかし、寄居を去った後、松本ご夫妻とは連絡が途絶え、現地点では、連絡すべき住所などの記録もない手元にない始末です。
 しかしその現実の中で、本記事は、思いを越えた刺激であり挑戦です。