「聖書をメガネに 桐生悠々の名を初めて聞いたあの時」の,小さくない恵みの波紋 しばらく経過後 再開②

「聖書をメガネに 桐生悠々の名を初めて聞いたあの時」の,小さくない恵みの波紋 しばらく経過後 再開②

第十一話 湖上歩行(マタイによる福音書 第十四章二二〜三三)

それからすぐ、イエスは弟子たちを強いて舟に乗せ、向こう岸へ先に行かせ、その間に群衆を解散させてから、祈るためにひとり山にお登りになった。夕方になっても、ただひとりそこにおられた。ところが、舟は既に陸から何スタディオンか離れており、逆風のために波に悩まされていた。夜が明けるころ、イエスは湖の上を歩いて弟子たちの所に行かれた。弟子たちは、イエスが湖上を歩いておられるのを見て、「幽霊だ」と言っておびえ、恐怖のあまり叫び声を上げた。イエスはすぐ彼らに話しかけられた。「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」すると、ペテロが答えた。「主よ、あなたでしたら、わたしに命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてください。」イエスが「来なさい」と言われたので、ペテロは舟から降りて水の上を歩き、イエスの方へ進んだ。しかし、強い風に気がついて怖くなり、沈みかけたので、「主よ、助けてください」と叫んだ。イエスはすぐに手を伸ばして捕まえ、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と言われた。そして、二人が舟に乗り込むと、風は静まった。舟の中にいた人たちは、「本当に、あなたは神の子です」と言ってイエスを拝んだ。

聖書というご本は、お友達と一緒に読むのもよいですが、一人で静かにゆっくりと読んで、それから読んだところの物語について、一体このお話はどのような場面の、どのようなお話かなと考えてみると、とても楽しいご本です。
楽しいと言いましても、〝魔女の宅急便〟の漫画を見たときの楽しさとは違い、もっと大切なものを見つけたときの喜びのような、楽しさと言ったらよいでしょうか。

それから、今日の聖書の物語のように、読んでみたけれど、ちょっと不思議すぎてよく分からない、というときもあるかも知れません。そのようなときには、聖書の物語の中には、沢山のナゾがあるのだと思って、そのナゾは、きっといつか、「ああ、そうだったのか」と分かる日が来ることを信じて、そっとしておいてください。

さて、今朝の物語ですけれど、第十四章のはじまりに、「洗礼者ヨハネ、殺される」と書いてあります。それはイエスさまという救い主が、この世に現れましたと言って、人々に宣言して歩いていたヨハネという預言者がいましたが、そのヨハネという人は、その時代の領主だったヘロデ王に殺されてしまいました。ヘロデ王はずるい人で、あまりしっかりした判断が出来ない人でした。そのときの感情で、すぐに喜んだり怒ったりするような王さまでした。ヨハネにちょっと注意されましたら、怒ってヨハネを牢屋に入れて殺してしまいました。

ヨハネはイエスさまのことを、神さまのみ子で、救い主ですと、人々に言い広めていました。そのヨハネが殺されたことを、イエスさまは知って悲しく思いました。弟子たちと一緒に舟に乗って、人里離れた静かなところへ行って、父なる神さまにお祈りを捧げようといたしました。すると、沢山の人々が方々の町々からイエスさまの後を追ってついてきました。

エスさまが神のみ子として持っていらっしゃる、霊的な力がますます人々を引きつけていったからです。夕暮れの、もうお夕食の時間が近いと言いますのに、なんと五千人もの人々が、イエスさまをお慕いして集まりました。中には、病気の人もいました。人々は、みんな何かしら心配なこと、不安なことを心の中に持っていたのです。

信仰の深い、正しいヨハネさんが王さまに殺されるような怖ろしい時代でしたから、人々は大変に不安でした。
でも、そのとき、イエスさまが五千人の人々にお夕食を分けてくださった、お魚とパンを人々は心から満足して食べたのです。
ちょうど、季節は今の日本の国のように、若葉が生えて丘の上は緑に包まれていました。「ヨハネによる福音書」によりますと、そのとき、人々はイエスさまこそ王さまになっていただきたい人だと言って、大騒ぎになりそうな気配でした。

そこで、イエスさまは、十二人の弟子たちを無理やり、ガリラヤの湖の岸辺にあった舟に乗せて、一足先に向こう岸へ行かせようとしました。大騒ぎになりそうな人々の群れを、お一人で静めようとなさいました。弟子たちを守ってあげようとの、イエスさまのお優しい心遣いでした。

舟は、弟子たちを乗せて、湖に出て行きましたが、イエスさまは、人々がいなくなると、お一人で丘の上でお祈りをしていました。もう夜もすっかり深まり、午前三時ごろになっていました。お祈りも終わり、イエスさまがふと立ち上がって、湖の方を見ますと、今しも北の岸辺の方に、波にもまれて吹き寄せられている舟が見えてました。先ほど出て行った弟子たちの舟ではありませんか。みんな困って不安になっている、その様子が丘の上からイエスさまにはよく見えました。湖には月の明かりが射していましたから。

エスさまは、岸辺に打ち寄せる波の中を、舟の方へと丘を下って歩いていらっしゃいました。薄暗がりの中に突然予期しなかったイエスさまのお姿が現れましたので、弟子たちはおびえました。「幽霊」ではないかと、恐れたのです。すると、「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」と、イエスさまの懐かしい声が響いたのです。

エスさまのことを誰よりも慕っているペテロさんが、「わたしに命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてください」と、言いました。イエスさまが「来なさい」と言われると、ペテロは舟から降りてイエスさまの方へ進んだのですが、深い波と強い風が怖ろしくなって、沈みかけました。「主よ、助けてください」と叫びますと、イエスさまがすぐに手を差し出して助けてくださいました。

わたしたちが、成長するにつれて、人生ではいろいろと困難が行く手をふさごうとします。悲しいときも、悔しいときも、決心するのに困るときもあるかもしれません。そのようなとき、聖書の中からイエスさまはいつも、「恐れるな、勇気を出しなさい」と、わたしたちにも静かに呼びかけてくださっています。聞く耳をそっとイエスさまの方に向けさえすればです。

父なる神さま。
エスさまを疑う人ではなく、イエスさまの励ましの声を信じる人にしてください。アーメン。
一九九〇・五・二〇