「このときのため」(エステル4:14)−2014年4月、クリスチャントゥデイの働きに参与するための備えーその2

「このときのため」(エステル4:14)−2014年4月、クリスチャントゥデイの働きに参与するための備えーその2

「この40年、−日本福音主義神学会の一員として−」②
(『福音主義神学』40周年記念号寄稿)
 宮村武夫

[3]1986年〜2010年
1986年4月、それまでの教会や神学校と大学での役割を後にして、当時数年間無牧が続いていた首里福音教会の牧師となるため、私どもの家族は沖縄へ移住。生活全般にわたり大きな変化を経験し、住居など制約の厳しい状況下での営みを味わいました。
そうした中で、東部部会から西部部会への移動が実り豊かなものとなった背景に、お二人の方との出会いがありました。

(1)関西部会のお二人
①神戸ル−テル神学校の鍋谷先生
 神戸ル−テル神学校の鍋谷先生が、そのままでは孤立しかねない状況の私を、関西に呼び出してくださったのです。
その方法は、実に善意と創意に満ちたもので、部会での講演だけでなく、神戸ル−テル神学校と神戸改革派神学校との合同授業を計画、集中講義担当の機会を提供。しかもそれまで私が書いてきたものをご自身で検討、講義の内容にまで行き届いた示唆を与えて下さいました。こうして関西までの往復の経済的必要も満たされました。
実に深い励ましでした。私なりに西部部会と沖縄の架け橋になりたいと心定め実行した源泉でした。現在沖縄在住の部会員は8名、鍋谷先生の好意の一つの結実と理解します。

②神戸改革派神学校の牧田先生
 沖縄に移住して3年ほど経過した頃、神戸改革派神学校の牧田先生が卒業生の門安を兼ねご奉仕のため沖縄を訪問。卒業生の村山牧師とは、短期間の間に交わりを深めており、牧田先生を私にご紹介くださいました。
そこで沖縄の北部・山原へ一周5、6時間のドライブにお二人を誘ったのです。
「沖縄での先生との出会いを深く主に感謝いたします。」と牧田先生もお書きくださいました。車中での沖縄以外では普通考えられない長時間の対話において、生きた神学的思索の展開、恵みの出来事が現実となったのです。二人の関心が実に深く重なり合い神学をめぐる語り合いは、ことのほか楽しく有意義でした。
沖縄聖書神学校で1987年から1995年まで私は新約関係担当。引き続き、1996年から2006年まで組織神学を担当する際、牧田先生は、ゴードンでの恩師ロジャー・ニコル先生(当時80歳代でフロリダの改革派神学校客員教授)と同様、相談にのってくださり、お二人とも私の新しい営みをとても喜んでくださいました。
 牧田先生との対話、その目に見える形での結晶が、『宣教・説教と組織神学』(『愛の業としての説教』)なのです。

(2)二つの課題
 1986年月からの沖縄での神学的歩みを、あえて二つの課題に絞り報告します。

①沖縄で聖書・聖書で沖縄
 聖書を読む。これは主イエスに従う私たちの歩みにおいて最も基本的な必要条件です。
しかし十分条件ではない。この一事を沖縄移住前後から次第に明確に意識するようになっていました。一人の牧会者、キリスト者、人間として聖書を読む。聖書に何がどのように書かれているか著者の意図を探り、聖書のメッセージに従い生きながら伝えて行く。
それだけで十分なのだと自己満足に陥ってはいけない。もう一歩前進する必要を自覚しやがて痛感し始めていたのです。
聖書に何がいかに、何故書かれているのかを知り受け止めるのは、それをもって、宗教改革者の一人が明言するように、自分が生きている現実、いや生かされている現実を読む、私の場合なら聖書で「沖縄を読む」ため。この営みを継続することこそ、沖縄で聖書を真に読み、神学の営みをなし続けることだと心に刻むようになりました。

 たとえば、1996年9月8日発行の『首里福音』(青梅の『礼拝の生活』と同じ役割を首里福音教会で目指す)480号に、以下のように「台風の受け止め方−伊江島中高生キャンプ継続の中で台風の神学への一歩−」を書きました。
 「……、伊江島中高生キャンプが台風12号の影響で8月15日(木)〜17日(土)に延期されたことをめぐり、幾つかのことを考えさせられ学びました。以前青梅キリスト教会でもみの木幼児園の運動会と雨の関係で直面した事実と重なります。しかしさらに沖縄では台風(石島英,『台風学のすすめ』,副題「沖縄からみた,台風自然と風土」)とのかかわりでどのように歩むべきか、より連続性のある年ごとの課題です。……
 実は、『台風学のすすめ』の著者石島英先生に感謝の意を現したく著者紹介の欄に載せられていた現住所に、以下の手紙を差し上げました。
『……先週の主日礼拝において、貴書『台風学のすすめに』に言及、紹介……
天と地の創造者を信じる者として、沖縄で台風をどのように理解し日常生活で受けとめるかの課題について、貴重な基礎的、実証的知識を与えてくださり感謝いたします。感謝のしるしとして、以前幼児教育の責任を持っていた頃、雨の日の運動会をめぐり書いた一文を含む拙編書(『存在の喜び』)を同封します。……』
ところが、琉球大学の石島先生から、お忙しい中、以下のお便りを頂きました。 
『……御書『存在の喜び』をいただき感謝しております。……牧師をされつつ幼児園の責任者としても永く尽くされた御経験の上に書かれたようで、宮村さんの人間論,教育論が伝わってくるのを感じます。
 拙書『台風学のすすめ』を読まれ、ご利用下さり有難うございました。台風を沖縄特有の自然環境の一つとして真剣に位置づけてみたいと思い取り組んでみました。当本が御目にとまり御紹介いただいたこと光栄に存じます。……』
 
このお便りを頂き台風についてさらに考えを重ねている中で、F.B.マイアー原著、小畑進編著『きょうの祈り』の9月5日付け、ナホム1章3節、『主の道はつむじ風とあらしの中にある』を引用した祈りに導かれ同じことばで祈りました。
『万軍の主なる神さま。
 嵐は乾いた大地と人々に待望の水をたっぷりともたらし,木々からは不要、無用の枝葉を取り去り、季節を移り変わらせます。
 嵐は一見恐ろしく、災難のかたまりのように見えながら、その反面他のまねすることのできない役割を果たしているのです。
 ナホムは、復讐の神、怒りの神、憤りの神を人々に指し示した雄偉(ゆうい)な預言者ですが、彼は、主は怒られるが怒るのに遅いお方、それもつむじ風と嵐の中にも道を用意しておられるお方と、誤つことなく神を見ていました。……』
 
この祈りは,台風の神学に大切な方向を指し示し、ナホム書の学びを促すものです。
 実は、四国香川県の小畑先生からお便りを頂いたばかりでした。
『……渕上先生は心より敬愛し、お世話になりっぱなしです。
 週報、『首里福音』で御教会のことを伺い……伊江島は、戦争の惨劇のあとかたもなく、なんと主僕高校の候補地ですか! 五十一年たったのですね。
 当方、たった独りという重圧でおしつぶされそうですが、両目の手術を終えて、よく見え……今度は危険も少なく、自転車をのりまわして、未踏の奥地まで入りこんでいます。……ただ無用な活動でなく、結実を,結実を,と願っています。……』
沖縄の地での台風の神学は、各地にあってそれぞれの持ち場・立場で主なる神の恵みに応答すべく歩みを重ねている方々との主にある連帯の中で進められます。

上記のお便りは、こちらからの以下の手紙に対する間髪を入れない返信でした。
『……三月には、懐かしいお葉書を頂きました。直ちに返事を書くことができず失礼しました。J.B.フィリプスが彼の自伝、『聖書翻訳者の成功と挫折』の中で明らかにしている病との、……それなりの戦いの中でした。
小畑先生が,四国の地で「激忙」の生活を送られている様子が目に浮かぶようです。四月に、丸亀聖書教会の渕上先生にお会いした際、小畑先生から電話を頂くのが楽しみと話しておられました。小畑先生の激忙の内容が、一人ひとりに対する深いご配慮に根差すものであると教えられます。
 私ども沖縄で十一度目の夏を迎えたことになります。この数年来伊江島について祈らされ、考えさせられております。その小さな一歩として、伊江島でテントを張って聖書キャンプを継続しています。
 高校生時代主イエスとの出会いを経験し、主にある交わりを継続、さらにその広がりを味わうことを許された者として、中高生に主イエスの福音を伝えたいとの願いです。地域の牧師たちと一つ心になって働くことができる事を感謝しています。……』

8月15〜17日に延期した1996年度の伊江島中高生キャンプに参加して、驚きました。
豪雪を思わせる一帯に積もる、浜辺から吹き寄せられた砂の量です。ダンプカーを先頭に懸命な清掃がなされる中、いつもに増してさっぱりとした海水の美しさに気がつきました。沖縄生まれの牧師の話しでは、サンゴの白化現象を防ぐ台風による海水のかき回しは、台風がもたらす幾つもの恵みのうちでも貴重な一つとのこと。
台風の神学は伊江島の現場で進められるべきと覚悟せざるを得ません。
そしてその基盤は、1910年生れの恩師渡邊公平が不自由な指先でお打ちになったワープロの手紙と共にお送りくださった、『現代に生きるクリスチャン—カルウァンの思考に従って—』にある事実を感謝します。
『敬愛する友、宮村先生。
 ……けれども幸い調度ここに一冊の書(むしろパンフレットと言った方 がいいかもしれません)……がありますので、送らせて頂きます。実は長年の成果として神の『三一論性』に従っての啓示理解の『方法論』を打ち立てる試みをしたまでのことで恥ずかしいものです。お側に置いてくだされば幸いです。……』」

②沖縄基督公会の夢
2000年に開かれた沖縄宣教・伝道会議の準備段階で、新約聖書に見るコリント教会やガラテヤ教会などと見合うのは、沖縄の地域の全体教会「沖縄の教会」The United Church of Christ in Okinawaであると書く機会がありました。
その基盤として、貴重で小さな書、John Knox、The Early Church And The Coming Great Church(Epworth,1957)を紹介しました。
さらに使徒信條に導かれ「聖なるあまねき公会」を信じ告白する者として、1872年3月10日に設立された横浜公会に学び、教会という名称ではなく、どこまでも公同性を求め公会的センスの確立を期待し沖縄基督公会の名称はいかがかとドンキホーテ的提唱をしたのです。
 ところがこの提唱の主旨を、その後思わぬ経過で講演し出版する道が導かれたのです。
 2008年1月6日、栃木県宇都宮市カトリック松が峰教会聖堂で開かれたキリスト教一致共同祈り会で、宇都宮キリスト集会牧師として、「ビブリカル・聖書的エキメニズムの提唱」(著作Ⅰ『愛のわざとしての説教』、なお同書『宇都宮キリスト集会と私」参照)を語ることが出来ました。
この夢は、あらゆる人間的な壁を突き抜ける聖霊ご自身の導きを受け、聖書に徹底的に聴従する聖書的エキメニズムにより実現すると判断し確信し続けています。徹底的な聖霊信仰、聖書信仰です。