聖書をメガネに 裁判の経過・判決を伝える裁判記事執筆について・その2 日本聖公会京都事件の実例 

聖書をメガネに 裁判の経過・判決を伝える裁判記事執筆について・その2 日本聖公会京都事件の実例 
執筆者 : 宮村武夫

クリスチャントゥデイが取り上げた裁判記事の中で、最も最近の例でありその回数も多いのは日本聖公会京都事件の実例です。この場合、どのように対処してきたか報告いたします。
第1は、日本聖公会に対する心からの敬意が基盤であり、全ての取材と執筆の根拠にある事実です。

心からの敬意に満たされつつ、具体的には2本の柱に基づき営みを続けました。

第1の柱は、私たちなりに入手できる資料を確認し、それを提示することです。この道こそ、制約を持ちつつなお事実を事実として大切にする営みと理解しています。今回の場合は、以下の資料の提示です。
■ 関連記事1:日本聖公会京都教区主教に辞職勧告 過去の牧師による性暴力事件の対応と責任めぐり
■ 関連記事2:日本聖公会京都教区主教に辞職勧告 牧師による性的虐待事件「京都事件」の現在に至るまでの経緯(1)
■ 関連記事3:日本聖公会京都教区主教に辞職勧告 牧師による性的虐待事件「京都事件」の現在に至るまでの経緯(2)

第2の柱は、インタビュー記事です。確かに文章は、どれほど強調しても強調し過ぎることのない大切な確証です。しかし、同時に文章を書き記した人間から切り離されて、文章が人格性を失わない配慮が重要と自覚します。そうです、生きた人格と人格が対話するインタビュー、そして信頼に基づくインタビュー記事は、そのものとして意味深いものです。
同時に、資料の文章を生き生きと、また正確に読むために、なくてならぬ手引きと覚えます。
■ 関連記事4:日本聖公会京都教区主教に辞職勧告 高地敬主教インタビュー(1)
今回、高地敬主教が、困難な課題に直面する中で、本紙のインタビュー申し込みに答えてくださった誠実さと勇気に心からの敬意を払います。

以上の具体的ケースを取り上げる前に、基盤となる、より総論的確認をしました。
聖書をメガネに 裁判の経過・判決を伝える裁判記事執筆について・その1 分をわきまえて 
執筆者 : 宮村武夫

7月20日付の「東京高裁、懲戒処分の裁量権の逸脱の有無・濫用に新判示」と題する本紙記事の反響の広がりを受け止め、感謝しております。

上記の記事に引き続き、8月5日には「都側が上告を断念、東京高裁判決が確定」した事実を、原告の聖公会信徒・岸田静枝さんと本紙のメールのやり取りや司法記者クラブの記者会見に出席することを許された本紙記者の直接の取材などを通して報じました。
その際、憲法19条の思想・良心の自由や20条の信教の自由など、人間存在の最も深い内部に触れております。
今回の経験を通し、聖書をメガネにこのような報道を続ける重要性を再確認し、励まされております。

一般の新聞報道でも、経験を積んだ司法記者が、しかもチームを組んで取り扱う裁判の経過・判決を伝える専門分野に属する記事を、本紙のような少人数の記者で運営しているインターネット新聞が、基本的に記者1人で取材し伝える現実では、当然直面する幾重もの制約があります。

ですから私たちには何ができないか見極め、冷静に分をわきまえる必要があるのは当然です。
しかし、今までも本紙において、それなりの数の裁判記事を掲載している事実が示しているように、何もできないわけではありません。そして限界の中で、どの事例を取り上げるべきか、取材の対象を選ぶセンスを磨く。またインターネット新聞の利点を活用して、信頼関係に基づく取材方法や表現方法に創意工夫を重ねていくのです。
この厳しい制約の道を歩もうとするとき、聖書における「法」についての教えが基本的導きを与えてくれます。
さらに、聖書の歴史に登場する裁判記述をメガネに、取材する裁判を認識・判断する特権を活用したいのです。