「聖書をメガネに」の基盤、その4−内村鑑三との出会いが、生涯にわたる人脈へ展開ー

「聖書をメガネに」の基盤、その4−内村鑑三との出会いが、生涯にわたる人脈へ展開ー

 若き日の内村鑑三との出会いは、私の生涯の中で、様々な新しい出会いとその継続を導き、私の歩みに決定的な影響を及ぼしています、例えば以下のような恵みの人脈です。
 長年にわたった高橋三郎先生からの『十字架の言葉』を通してのご教示、沖縄での宮城航一・さゆりご夫妻をはじめ那覇聖書研究会の兄姉との交流、日本女子大での新井明先生との出会いから始まる長年の交流、1990年沖縄で初めてお会いして以来の佐藤全弘先生との深まり広まる文通、さらに毎年続けるようになった無教会全国集会出席などなど、今日まで展開しています。

 例えば高橋三郎先生の場合、高橋先生との交わりは、貴重な実例です。、
首里福音教会会堂、特にその講壇は、沖縄での25年間の恵みの思いでの中でも、特別なものです。その首里福音教会の会堂は、無牧の中祈りが重ねられ、私たちの沖縄着任の翌年1987年6月20日に献堂されました。
 その経過で、1986年4月の宮村家族の着任に備えて、会堂建設の計画と協力依頼が教会外へ送付された際、最初の応答者として献金を送金して下さったのは、無教会の高橋三郎先生でした。この事実は、私たち夫婦にとり、深い励ましでした。

『仰瞻・沖縄・無教会』島崎暉久共著(1997/証言社)への応答

[一]序
 本書は、高橋三郎先生と島崎輝久先生の特別な意味での共著です。
 内容構成は以下の通り。
一序 島崎輝久先生

二「回顧と仰瞻」 高橋三郎先生
 元々『十字架の言』1997年4月号所載。

三沖縄からの叫び 島崎輝久先生
 元々『証言』1996年7月・8月号所載
6月16日、沖縄の宜野湾セミナーハウスでの内村鑑三記念講演会の講話に加筆し整理なされたもの。

四無教会はどこへ行くのか 島崎輝久
 『証言』1976年9月号所載

五あとがき
 全体で92頁のものです.

筆者は、1986年4月沖縄に移住以来、『十字架の言』の読書会に参加。以前は個人的に読んでいた「十字架の言」を、読書会の皆さんと一緒に味読するようになりました。
 また、内村鑑三記念講演会にも、特別な事情のない限り毎年出席しております。
『沖縄からの叫び』も直接講演会でお聞きし、間もなく送り頂いた『証言』誌上で読みました。
 このような背景の中で、「序」の島崎先生のことばを手引きに、沖縄に住む一人の人間・キリスト者、いわゆる福音派(聖書信仰を強調する保守的プロテスタント)に属する教会の牧師として、本書を感謝して読ませて頂きましたので、小さな応答をなしたいのです。
 
まず第一に、本書の各論考で何が、いかに、何故書かれているか聴き取る。 次に、本書の各論考の内容から、特に示唆される話題をめぐり四つの点に限り応答したいのです。
 以下読み取りを進め応答をなして行く過程で、島崎先生の「序」のことばに意を注ぎます。
 「序」は、「本書はたくさんの若い学生諸君に読まれると思うので」と書き出されています。著者の予感と期待、さらには執筆目的として、若い読者が意としている事実を見ます。このことばを、「すべての者は、いつも若き学徒としての意識を持ち、生活をなすべき」とのチャレンジと受け止めたいのです。
 さらに、「この本を読む順序」についての島崎先生の願いにも注意したいのです.
 「回顧と仰瞻」を重い思想を提出する論考、「沖縄からの叫び」を事実を明らかにする論考として後者から読み、結びとなる「無教会はどこへ行くのか」に進み、「回顧と仰瞻」へ戻り、その重い内容を理解し追体験するようにとの勧めです。この勧めは思想と事実、思想と実践、読むことと生きることとの関係をめぐる、大切な指摘と考えます。
 
また細心の注意を払い本書を読み進めたいと意識したのは、「しかし」、「それにもかかわらず」など、どんな聖書辞典や神学辞典にも普通出てこない、論理の結びを示す言葉に注意を払うことが、本書味読の鍵と思われます.
 たとえば、序文の最後、
 「すると当然人は、無教会とは何かを問うのだが、その本質は端的に本書の第一論考に語り尽くされていると私は思う。それは一言で,、『ひたすら十字架の主を仰ぎ見』ることにほかならない。
 しかしこの思想を文字通り実践することは大変むずかしい。それにもかかわらずこの一点に立ち切って前進を開始するならば、われわれの前に横たわる諸問題は徐々に解決されて行くであろう。そして全世界はやがて希望と平安に満たされるであろう.」 日常生活で親しみやすいことばが、論理展開を明らかにするために用いられている点が印象的です(沢田允著,『論理と思想構造』講談者学術文庫125、47頁以下)。