手の業は、心の業

    手の業、心の業

 沖縄の自然の中で、染と織物の営みをM姉さは、本土からの移住後、数十年以上に渡り続けておられます。
 ご夫妻で高橋三郎先生の指導を長年受けられ、沖縄の無教会の群れで大切な役割を果し続け、私たちの25年の沖縄滞在中も、沖縄を離れた今も主にある僕仲間(黙示録22章8、9節)です。

 首里福音教会の週一回の聖書の学び会に参加されるようになって、二十年近い年月。当時の小さな交わりにおいて、Mさんの存在が、他の参加者にとりいかに幸いであったか、その一つの例をお伝えします。
 それは、出エジプト記35、36章に見る幕屋の記事を読んでいたときの経験です。35章25、26節に見る、
 「また、心に知恵のある女もみな、自分の手で紡ぎ、その紡いだ青色、紫色、緑色の撚り糸、それに亜麻布を持って来た。感動して、知恵を用いたいと思った女たちはみな、やぎの毛を紡いだ」との記述を、Mさんの日常生活や作品に接していたため、とても身近なものとして受け取る事ができました。
 多彩な色の糸、その配色と紡ぐ業が知恵を用いてなされたことなど。その営みは、背後にある幾重もの備えとともに、「感謝して、進み出て」(36章2節)なされた事実の重みが自然に伝わってきます。
 感動に満たされた「心から進んでささげられ」(35章21節)、また時間をかけた、細部と全体がよく調和した「巧みな細工」(36章8節)。これらは、手の業を通しての心の現れです。
 幕屋の建設においては、「聖所の奉仕のすべて」(36章1節)、「聖所のすべての仕事」(36章4節)とあるように、それに係わる仕事は多様です。またそれに当たる人々についても、「感動して、進み出たその仕事をしたいと思う者すべて」(36章2節)とあります。単に特定の人々だけでなく、神の恵みに応答する様々な人々と、多様な人々の様々な営みであると伝えています。
 
 神の恵みへの応答は、手の働きである生産技術や、芸術を通しても豊かに表現されると教えられます。私たちの手の業を多様な楽器の一つ(詩篇150篇)として活用するよう招かれています、作品の鑑賞も含めて、うれしじゃないですか。