説教者の道を歩む苦悩と喜び


説教者の道を歩む苦悩と喜び

 1958年、日本クリスチャン・カレッジの1年生の秋、級友雨宮巍兄の紹介で、埼玉県は寄居町における、カナダからのプライス、アメリカからのジーンズ両婦人宣教師による開拓伝道を手伝ういことになりました。
 
 そうです、両宣教師をはじめ数名の方々を前に、毎週の講解説教を開始したのです。10代の終わりの説教者の卵の誕生です。
 
 この説教者としての一歩が、私の全生涯を導てくれています。主の一方的な恵みにより与えられた、すべての神学教育は、説教者として、より整えられるためのもの。また三つの神学校と一つの大学で教壇から語ったすべてのことは、教会の講壇から宣べ伝えた説教を基盤とする、一説教者のことばです。

 さらに、1986年沖縄移住まで書いてきた論文は、学術的目的を持った、本来の論文ではなく、説教が整えられることを目的とし、説教の充実を目指す実践的な目的で書かれたものです。学術的論文がてんぷら屋のてんぷらに対比して、そばである説教を美味しく食べるためのそば屋のてんぷらと自覚していました。

 その後、思いを越えた経過で、地域教会の牧師の立場から離れ、沖縄を去り、今クリスチャントゥデイの働きに導かれている中で、今までのすべての牧師、神学校や大学での働き、著作活動は、「この時のため」(エステル記4:14)との確信を深めています。
 そうです、聖書をメガネに万物を見、本来の人間・私らしい私を提示し、新天新地の希望と持ち場立場に留まり忍耐に徹する説教者の道を歩む苦悩と喜びです、感謝。