、砂金堀

砂金堀
 二十数年前、東京基督教大学が千葉の地で新しい出発をなしたとき、「千葉から世界へ」の標語が主張されたのに対して、あの時点では違和感、さらに空虚感を覚えました。
 実際にも徹底的に千葉に根差し、いつの日か、本当の千葉を知りたければ、千葉県庁よりは東京基督教大学に行くべきだと人々をして言わしめる営み。本当の千葉の姿、それは聖書で千葉を読みつつ資料を集め、資料を集めつつ聖書で千葉を読む東京基督教大学が見抜くとの評価を得るための積み重ねを提唱しました(「保線夫として 申命記3章1節〜11節」宮村武夫著作1「愛の業としての説教」75ページ)。

 今、クリスチャントゥデイについても同じく、徹底的に地域に根差す営みの必要を覚えます。例えば東京下町など地域ごとに、キラッと輝く砂金のような尊いキリスト者・教会の存在と活動について記録していく。砂や泥や岩のような現実のただ中で、砂金堀です。