石川福音教会の重元清牧師から戦場での連絡文

石川福音教会の重元清牧師から戦場での連絡文

沖縄における20年を越える年月、重元ご夫妻は私ども二人にとって常に主にある戦友、そして今も、ますます心のの友。
2008年4月、私が、小さな群れ・宇都宮キリスト集会牧師に就任した際、頂いた便り。

 「一方、勇気とは未知にかかわるものであるが、いわば拡がりは既に知られており、ただその深度と強度の点で未知なのである。後者つまり勇気の場合は、既知あるいは外延において既知になった未知の枠内において、強度の未知が存在する。
 この意味で、老年は勇気を要するのである。青少年はむしろ大胆の方に向いているのだから、老年は青少年のまだ知らないような大変な勇気を必要とするのである。僕にとって老年は・・・、年を重ねるにつれてますます激しく吹きつのって罷まない嵐に対抗することなのである。
不安に胸をしめつけられながら絶えず風向きを窺い、苦労を重ねてゆっくりと右に左に進んでいく船のように、あるいは、危険な場所にさしかかって速度をおとす自動車のように、その中を進んで行く。何となれば、老年においては(そしてそれが老年独自の性格なのであるが)進むにつれて既知が未知に吸い込まれていくからである。このように厳密に規定された意味において、老年とは、幼な児が全く無力のままに自然の脅威に晒されている、あの幼年期に戻ることである。老年固有の叡智というと、諦めの境地に達した・・・すぐに言われるが、それは余りにも安易なむしろ人を馬鹿にした考えであって、実際には,途轍もなく・・・経験をはちきれんばかりに積み込んで重く水中にのめりこんだ船を、暗礁と荒れ狂い泡をかむ激浪との間をぬって、慎重に、労苦に労苦を重ねて導いていく、苦悩にみちた老船長にこそそれは似ているのである」(『森有正全集』 14 145、146頁 『日記』1970年5月4日)」。

主の御名を賛美します。
宮村先生。牧師就任式、おめでとうございます。
先生から送られてきた「宇都宮キリスト集会と私」を読みながら、熱いものがこみ上げて、涙が止まらなくなりました。
 上の文章は、たまたま読んでいた、森有正の「老年」について書かれたものです。
「老年は、・・大変な勇気・・・」の所を読みながら、宮村先生の姿が浮かびあがってきたので、コピ−しました。(老年と語るのは失礼と思いつつ)。
 先生の勇気と冒険を主に感謝しつつ。」