2015年12月6日(日)③足立キリスト教会主日礼拝出席、そして

2015年12月6日(日)③足立キリスト教主日礼拝出席、そして
 
 今日は、JECA足立キリスト教主日礼拝出席。末弟三郎牧師と自慢の義妹和子夫妻が牧会する教会で、教会員の方々とも、主にあって交わりの深まりを許され、感謝です。
 昼食の交わりの後、午後2時からは、子供クリスマスに参加。案内配布を中心に年間を通じ地道な努力が豊かな実を結んでいる様に、喜びを共にしました。特に君代は、日本クリスチャンカレッジに入学した直接の動機が、児童伝道への重荷だっただけに、久し振りに子供クリスマスに参加でき大満足。
会の後半、2週間の検査入院をなさって老兄が、板橋の病院から許可をもらい駆け付けられたので、一同感激しました。

 また会の後は、北千住に四人で向かい、和食レストランでゆっくり会食のひと時を持ちました。実は、クリスチャントゥデイでの記事をめぐり主にある出会いの恵みに与った、東北の日本基督教団のY牧師先生から、岩手県出身の君代と食事をするようにと、思いがけないクリスマスプレゼントを受け取っていたのです。
 沖縄で、20年来労した首里福音教会から離れ、JECAから退いた後しばらくしたころ、沖縄を訪問した宣教団体の指導者は、「宮村先生、先生のJECAでの評判悪いですよ」と。
 その上、25年ぶりに沖縄から関東へ戻ったら、クリスチャントゥデイの編集長に就任と、火中の栗を拾うがごとき言動。もはやJECAだけでない、より広く戸惑いを与え、非難を受けることになりました。
 さらに4月からのちいロバ聖書集会への全面的肩入れは、絶好の非難の口実となることは覚悟の上でした。
 しかし、君代は、気性の激しく負けず嫌いの私と違う、柔和な三郎牧師の立場が大変なのではと何かと案じていました。
 そうした中で、Y牧師の愛に支えられた会食の機会は、「うそと坊主の頭は結え・言えない」と言いながら、30代での炭鉱、石炭販売業の再建、重油業からガソリンスタンドへの転身と時代の波を乗り越え、晩年は、関東大震災の時、疎開先の栃木県佐野市で福音へ応答する、潔いキリスト信仰を公私ともに明確に証しながら召された、父泰二の息子であると確認する二人にとり恵みの時でした、感謝。