「主の御前では、一日は千年、千年は一日のよう」         Ⅱペテロ3章8−13節

2014年2月23日
聖望キリスト教会 主日礼拝

Ⅱペテロ3章8−13節 
「主の御前では、一日は千年、千年は一日のよう」
 

御父、御子、御霊、生ける三位一体なる神の御名を讃美します。
[1]序
(1)1月28日−2月20日(木)沖縄訪問・宣教を終え、2月20日の夕方、市川に戻りました。この期間のお祈り感謝いたします。実に恵み豊かな日々でした。

(2)今朝の主日礼拝では、Ⅱペテロ3章8−13節、「主の御前では、一日は千年、千年は一日のよう」の主題で、「この一事」(3章8節)・新天新地の希望と地上での忍耐に意を注ぎます。

[2]「主の御前では」
(1)著者ペテロの自覚、再確認。
①「イエス・キリストのしもべであり使徒」(1節)して、「同じ尊い信仰を受けた方々へ」(1節)。死が間近であると知らされ(13,15節)、死後、受信人たちに「思い起こさせる」(13、15節)ため、遺言説教のように、この手紙を書き記す。

②「キリストの威光の目撃者」(16節)、16−18節。「考え出した作り話」(16節)などではなく、主イエスの出来事・事実の証人。
聖霊に動かされた人たちが語った神からのことば(21節)・聖書に堅く立つ、19−21節。参照Ⅱテモテ(パウロの遺言説教)3章16,17節。
 
(2)主イエスの呼び掛けに応答して、基本的な選択とその実践。
Ⅱペテロ2章に描かれる現実の中で、「その心はよくに目がありません』(2章14節)。
①マタイ6章24節
「だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。」

②マタイ6章31−34節
「そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。
だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。
だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります」。 

(3)パウロも勧める、聖霊ご自身に導かれる祈りの継続の中で。
エペソ6章18節
「すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。」

[3]「一日は千年、千年は一日のよう」
(1)一日は千年のよう
①一日の豊かさ。

②小さな人、小さなものを決してあなどらない。
主イエスの提示なさる生き方に従う、「小さい事に忠実な人は、大きい事にも忠実であり、小さい事に不忠実な人は、大きい事にも不忠実です」(ルカ16章10節)。

(2)千年は一日のよう
①主の御手にある歴史の一貫性。
マタイ1章1節、「アブラハムの子孫、ダビデの子孫、イエス・キリスト系図」、アブラハムからダビデまで、約千年。ダビデから主イエスまで、約千年。主イエスから私たちまで、約2千年。少なくとも千年単位、4千年の歴史に立つ。

②主の御手としての時。
詩篇31篇14節、15節、
「しかし、【主】よ。私は、あなたに信頼しています。
 私は告白します。
 『あなたこそ私の神です。』
私の時は、御手の中にあります。
 私を敵の手から、また追い迫る者の手から、
 救い出してください。」

[4]集中と展開 
(1)集中
 Ⅱペテロ3章13節、「しかし、私たちは、神の約束に従って、正義の住む新しい天と新しい地を待ち望んでいます」。

(2)展開
 新天新地の確かな約束成就を目指して、主日から主日へ、1週間の日々、どんな小さい人もこともあなどらない。どんな大きな人もこともたじろがない。Ⅰコリント10章31節。