「終末に生きる」 Ⅰペテロ4章7−11節 

2013年8月25日
聖望キリスト教会 主日礼拝

Ⅰペテロ4章7−11節 
「終末に生きる」

御父、御子、御霊、生ける三位一体なる神の御名を讃美します。
[1]序
(1)2013年7月28日の主日礼拝から1箇月弱、今朝も再び皆様と共に主を礼拝し、みことばを味読・身読する恵みの機会を感謝します。

(2)この1箇月も、皆様それぞれと同様、主の恵みの中を歩むことを許されました。
7月17日に開始した、岩崎淳兄との合作・聖書をメガネに見る江戸いろはカルタ説教、今朝は動画40 聖書をメガネに見る江戸いろはカルタ説教、「良(れよう)薬は口に苦し」 その3 http://www.youtube.com/watch?v=8Cr9TB8MLp8 キリストを信じる信仰・キリストのための苦しみ(ピリピ1:29)でした。毎日、様々な様々な応答があり、感謝しています。

(3)さて今朝は、4章7−11節を、「終末に生きる」との主題で、
①「祈りの勧め」と②「愛と使命に生きよ」の二つを柱に味わいます。

[2]祈りの勧め手紙の受取人たちに迫りくる「燃えるような火の試練」(12節)に先立ち、ペテロは「終末の希望」に焦点を合わせ、終末の意識に立ち、苦しみの中に生き抜くあり方を明示。
(1)「万物の終わりが近づきました」(7節)とペテロは明解に宣言します。
 確かに、いつの時代にも世の終わりを告げる声は絶えません。しかしその多くに共通しているしらべは「不安」です。「このままでは世界はいったいどうなるだろうか」と焦燥感・あせりに根差し、現実生活から逃避して異常な精神状態に陥る危険があります。
 しかしペテロがここで「万物の終わりが近づきました」と宣言する時、不安や焦燥感とは無縁です。ペテロの終末の見方、そうです、聖書の終末観は、「初めに、神が天と地を創造した」(創世記1章1節)と提示する神の万物創造の事実に堅く立つのです。
 万物は、創造者なる神の雄大で綿密なご計画に基づいて調和を保ち保持され、新天新地に向かい進展。この神の創造と摂理のみわざを信じ、万物の終わり・完成を信じるのです。

(2)ペテロは直接続けて、「ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい」(7節)と勧めをなします。
 この「心を整える」と訳されていることばは、マルコ5章15節で興味深く用いられています。汚れた霊につかれた人が主イエスに解き放たれた様を、「着物を着て、正気に返って
すわっている」とマルコは描いています。
 「心を整える」とは、創造者なる神の万物を貫く雄大で綿密なご計画を認め、万物の調和を悟り、「万物の終わり」・神の御旨の完全な成就を祈るのです。不安や焦燥感から平静さを失った状態とは全く逆の「正気に返る」恵みです。
 祈りは、神のみこころや御計画が成就するようにと明確な目的と内容を持ちます(マタイ6章9、,10節)。最後・希望から、今、ここで・忍耐、これが聖書の終末論です。

[3]愛と使命に生きよと
(1)終末の意識が高まる中で、「何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです。」と、1章22節や3章8節でペテロがなして来た愛の勧めを、もう一度強調しています。主にある兄姉との交わりを深め、各自が主なる神から委ねられている使命に落ち着いて専念する。これこそ終末の時代に生きる者のとるべき態度なのです。

(2)受信人、そして私たちの一人一人が持ち場・立場に生かされ、独自の使命を与えられており、「それぞれが賜物を受けている」(10節)のであり、「すべてのことにおいて」(11節)神の栄光を現すことが許され、また求められています。
 「万物の終わりが近づきました」(7節)と主なる神のご計画全体を見通し、その完成を求める中で、教会の豊かさやキリスト者の多様な生き方をペテロは提示し、
「すべてのことにおいて、イエス・キリストを通して神があがめられる」(11節)ことを目指すのです。自らも、受信人も。そうです。最初の受信人も各時代の受信人も。

(3)1章3節、手紙の冒頭において、あいさつもそこそこにペテロの心からほとばしりでた「神がほめたたえられますように」との祈り。
 この祈りは、迫り来る迫害を目前にして、万物の終わりが近いことを悟り、神の御旨全体を視野に入れて祈るようにと、この箇所で展開している勧めの頂点に位置する4章11節の言葉に共鳴します。
1章の「神がほめたたえられますように」と4章の「イエス・キリストを通して神があがめられる」。これこそ手紙を書きながら終始ペテロの心に満ちていた祈りです。

[4]集中と展開
(1)集中。聖書の終末観は、初めと最後が視点。
黙示録1章8節、「神である主、今いまし、昔いまし、後に来られる方、万物の支配者がこう言われる。「わたしはアルファであり、オメガである。」

(2)展開。この希望の視点から、今、ここでをしっかりすべてを見定め、委ねられた持ち場・立場に留まるのです。希望と忍耐です。祈りつつの歩み・営みです感謝。