使徒の働き味読・身読の手引き・その39

沖縄で聖書を、聖書で沖縄を読む。
首里福音教会、その主日礼拝を中心にした営みの報告


「神の恵みにとどまる」
使徒13章42ー43節

[1]序.
 今朝1995年の新年礼拝においても、使徒の働きを読み進めて行きます。
13章42節と43節には、16節後半から41節に及ぶパウロの宣教がどのような結果をもたらしたか記しています。
①第一は42節に見る、「次の安息日にも同じことについて話してくれるように」との願い。パウロの宣教が多くの人々の強い関心を引き起こしたのを見て、「会堂の管理者たち」(13章15節)がパウロに正式に願いで、二週間連続の宣教がなされるようになったと考えられます。

②43節には、パウロの宣教に対するもう一つの反応を記しています。次の安息日には、同じ主題でパウロが宣教をなすと発表されました。しかしそのまま一週間待つだけで満足できない程、パウロの宣教に心動かされた人々がいたのです。「会堂の集会が終わってからも、多くのユダヤ人と神を敬う改宗者たちが、パウロバルナバについて来たので」とあります。パウロバルナバの宿舎を訪問したと考えられます。

[2]「ふたりは彼らと話し合い」
 人々がパウロバルナバの宿舎を訪問したわけは、少なくとも二つあると推定できます。第一の理由は、積極的な求道の思いからです。パウロの宣教を聞き、もっと福音の内容を聞きたいと求めるようになった人々が一週間待てず、さらに教えを聞くため訪問した場合。
 もう一つの理由として、ある人々はパウロの宣教に応答して信仰を告白する機会を求め、二人の後を追ったと考えられます。主なる神は約束に従い、救い主イエスを送られた事実をパウロは宣べ伝えました。このお方は人々の罪のため十字架で死なれ、葬られ、罪と死に打ち勝ち死者の中からよみがえり、もはや朽ちることのない方となられたのです。
ある人々はパウロが宣べ伝える救い主イエスを個人的に信じたいと願い、信仰告白の機会を一週間待つのではなく、パウロバルナバを尋ねたと考えられます。人々の必要と求めに答えて、「ふたりは彼らと話し合」い、その結びとして,「いつまでも神の恵みにとどまっているように勧めた」のです。
このように求道者にはさらに説明がなされ、信仰告白の機会を求めている人々には、「あなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われる」(ロマ10章9節)と、個人的に主イエスを信じ告白するよう導きがなされていった様子を推察できます。

[3]「神の恵みにとどまっているように」
 パウロバルナバは、熱心な求道者に個人伝道をし、信仰告白へ導き「いつまでも神の恵みにとどまっているように」勧めたのです.。
(1)神の恵み。
「神の恵み」は、二つの側面を含みます。
①第一は、主なる神が私たちに与えてくださる、主イエスにある救いの恵みです。神が私たちに何をなしてくださったか、神の恵みの土台です。
②第二は、神の恵みに答えて生きること。神が私たちに何をなしてくださったかを悟り、神の恵みに答えて感謝し使命を果たし続けていく。このような生活と生涯そのものが、「神の恵み」です。
この二つが切り離されることなく神の恵みに含まれている事情を、パウロは自分自身の経験を通し明らかにしています(Ⅰコリント15章10節、「ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは、むだにはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。しかし、それは私ではなく、私にある神の恵みです」)。

(2)とどまる。
パウロバルナバは、「いつまでも神の恵みにとどまっているように勧めた」のです。バルナバが、かって、あのシリヤのアンテオケ教会に、「みなが心を堅く保って、常に主にとどまっているようにと勧」(11章23節)め場合と全く同じです。ピシデヤのアンテオケ教会は、すぐにも迫害に直面しなければなりませんでした(45節−53節)。それ以後も、彼らの歩みは、「あなたがたは、世にあっては患難があります」(ヨハネ16章33節)と主イエスが弟子たちに言われる通りです。苦難の中で戦い抜く戦闘の教会にとり、消極的に見える「とどまる」ことこそ、真の力です。

[4]結び
この新しい年、私たちも神の恵みにとどまるように勧めを受けていないでしょうか.