「キリストの苦しみにあずかる」(Ⅱ)

2013年7月28日
聖望キリスト教会 主日礼拝
Ⅰペテロ3章18−4章6節 
「キリストの苦しみにあずかる」(Ⅱ)

御父、御子、御霊、生ける三位一体なる神の御名を讃美します。
[1]序
(1)2013年6月23日の主日礼拝から約1箇月、今朝7月28日、こうして再び皆様と共に主を礼拝し、みことばを味読・身読する恵みの機会を感謝します。
 今朝は特に、宇都宮キリスト集会から参加くださっている方々も加わっています感謝。

(2)この1箇月も、皆様それぞれと同様、主の恵みの中を歩むことを許されました。
 4月3日に、岩崎淳兄と合作で開始した童謡説教、7月11日に100回目を終わり、5回の余滴を加え、7月16日に締めくくることが出来ました。
 7月17日から、3回の「はじめに」をもって、聖書をメガネに見る江戸いろはカルタ説教を始め、今朝は「骨折り損のくたびれ儲け」 その1を提供してきました。Ⅱテモテ4章2節、「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。」の勧めに対するささやかな応答です。

(3)6月と7月私が担当する2回の主日礼拝では、Ⅰペテロ3章18−4章6節を、「キリストの苦しみにあずかる」との主題で味わい、今朝は2回目です。

[2]「同じ心構え」(4章1節)
(1)3章22節から4章1節の移行に注目。
 ペテロは、3章18節で「キリストも」と語り出し、主イエスご自身のみわざに焦点を合わせ、22節でキリストの勝利を鮮明に描き出しています。
 ですから、続く4章1節では、「キリストは勝利を得たのですから」と書き進めるのが自然な流れです。ところが実際には、キリストの苦しみに言及して、最初の手紙の受信人又今読む私たちに勧告します、
「このように、キリストは肉体において苦しみを受けられたのですから、あなたがたも同じ心構えで自分自身を武装しなさい。」(4章1節前半)。
 かしらであるキリストは、初めから勝利でなく、十字架、復活、昇天と段階を経て勝利を得られたのです。
 それゆえキリストのからだである受信人も、「同じ心構えで自分自身を武装」(4章1節前半)すべきなのです。そうです。地上に生かされている今の時、主イエスご自身が十字架の苦しみを通して勝利されたと「同じ心構えで」、各自の持ち場・立場で苦しみを通して、神のみこころを全うし、主イエスの歩まれた道に従うのです。
 今まさに苦しみの中に生きている受信人たちは、キリストに従い前進しているのです。

[3]「神のみこころのために」、4章2節
受信人たちは、今この地上での困難の中で、「神のみこころのために過ごす」(4章2節)明確な自覚を持ち生きるのです。
神のみこころには、二つの側面があります。
(1)4章7節
「万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。」
 万物、全宇宙・全歴史は、神の雄大で綿密なご計画の中で主イエス・キリストにあって統治され、新天・新地の訪れに向かい進んでいるのです。

 黙示録4章11節
「主よ。われらの神よ。
あなたは、栄光と誉れと力とを受けるにふさわしい方です。
あなたは万物を創造し、
あなたのみこころゆえに、万物は存在し、
また創造されたのですから。」

(2)各自の持ち場・立場を貫く神のみこころ
 受信人一人一人が神のご計画全体の中で、各自にふさわしい位置を与えられているのです。誰一人偶然に生きている者はいないのです。それぞれ一人一人が父なる神から使命を与えられています。各自の持ち場・立場で使命を果たす特権と責任を委ねられ生かされているのです。
「みこころが天になるように地にもなりますように」と祈る受信人・私たちは、聖霊ご自身と聖書に助けられ導かれて、神のみきころのために生きる明確な自覚を持って生活・生涯を営むのです。
そうです。神のみこころのために」、これが人間本来の生き方であり、死に方です。

[4]集中と展開
(1)集中、ピリピ1章29節
「あなたがたは、キリストのために、キリストを信じる信仰だけでなく、キリストのための苦しみをも賜ったのです。」
 
(2)展開、ロ−マ8章18−25節、特に23節
「そればかりでなく、御霊の初穂をいただいている私たち自身も、心の中でうめきながら、子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだの贖われることを待ち望んでいます。」