「キリストの苦しみにあずかる」との関連で殉教の神学」

「キリストの苦しみにあずかる」との関連で殉教の神学」
2013年7月28日午後
 聖望キリスト教
 

二つの文章を紹介、思い巡らします。
[Ⅰ]キリスト新聞に掲載した拙文
『あなたの慈しみは命にもまさる恵み、わたしの唇はあなたをほめたたえます。』(詩篇63篇4節)。
 
1997年4月29日、畏友天田繋作曲、日本二十六聖人『長崎殉教オラトリオ』全十景が、1597年の長崎での出来事を記念して、上野・石橋メモリアルホールで上演されました。その日、伊江島を一人で歩き、ハンガリーへお帰りになったネメシェギ神父の言葉を思い出していました。

  埼玉県寄居キリスト福音教会の一牧師を、『キリストにある兄弟宮村さん』とネメシェギ教授は温かく受け入れてくださり、1968年4月から3年間、上智大学神学部で学ぶ道が開かれました。二週間に一度、イエズス会の寮にある先生の部屋で、与えられた課題について考え、調べてきたことを申し上げる。それは、居間思い出しても至福の経験でした。
そのようなある日のこと、初代教会をめぐる一つの論文を読み、考察していたとき、『この神学では、殉教はできません』と、温厚な先生が静かに言い切られました。
  
(2000年)六月、沖縄で開かれた第四回日本伝道会議への一つの応答として、上記のオラトリオを沖縄で上演できたらと幾人かの者が準備のための小さな一歩を踏み出したところです。

時・歴史、場所・空間の隔たりを越える教会のリヤリティーを、『命こそ宝』の島の現実の中で告白する者たちの証し、

星野富弘さんの詩への共鳴として。
  『いのちが一番大切だと
   思っていたころ
   生きるのが苦しかった
   いのちより大切なものが
   あると知った日
   生きているのが
   嬉しくなった』」

[Ⅱ]信教の自由、憲法20条をめぐって
第二十条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。

② 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。

③ 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。


これに対して、自民党改憲草案では以下のようになっています。


(信教の自由)
第二十条 信教の自由は、保障する。国は、いかなる宗教団体に対しても、特権を与えてはならない。

2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。

3 国及び地方自治体その他の公共団体は、特定の宗教のための教育その他の宗教的活動をしてはならない。ただし、社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超えないものについては、この限りでない。

二つの課題
(1)厳しい状況→殉教に至る。

(2)神社参拝は、宗教儀式ではなく国家儀式との戦前の問題の再現→殉教が起き得ない。深刻な事態。