「小さく、雄大な詩篇百十七篇」―讃美と世界宣教、そして小さく殊勝な女一人―
「小さく、雄大な詩篇百十七篇」
―讃美と世界宣教、そして小さく殊勝な女一人―
「すべての国々よ。【主】をほめたたえよ。
すべての民よ。主をほめ歌え。
その恵みは私たちに大きく、
【主】のまことはとこしえに。」(詩篇117篇1,2節)
[1] 序
実に感謝なことです。沖縄にあって本土のことを覚え、本土にあって沖縄を覚えることが出来ます。
例えば、アッセンブリ−ズ・オブ・ゴット教団 西東京キリスト教会の山田亘先生が、2008年4月10日発行の『落穂』誌に私が書いた、『一枚のポスター』−松山の万代牧師と八尾の堀内牧師―をお読みくださり、懐かしさのあまり松山の松山福音センタ−に連絡、私の携帯番号を調べて、当時沖縄に居た私まで電話をしてくださったのです。
そうです。1956年、あの当時、山田先生は、毎週火曜日に開成聖書研究部のため讃美指導をしてくださっていたのです。
その背景は、こうです。聖研のメンバ−は、水曜日の堀内顕さんが指導する集いの他に、火曜日昼休みに屋上に集まり讃美歌を一緒に歌おう、友達を誘いやすいしと決めたのです。
ところがほとんどの者が、校歌とボ−ト部応援歌しか歌ったことがなく、讃美の集いを始めたまでは良かったのですが、行き詰ってしまいました。そこで小岩教会の特別集会で讃美歌を独唱なさった山田先生に頼み込んだのです。
50年余の年月の時と東京と沖縄の地理的隔たりが重なります。しかし電話の声を聞いてすぐに、「山田先生だ」とわかりました。
2008年4月、沖縄から関東への宣教の旅の一日、私は山田先生を訪問。
その9月には、約束通り、日本センド派遣会総主事である私を、西東京キリスト教会の主日礼拝と午後の講演会の講師として先生はお招きくださったのです。
午後の講演会では、詩篇117篇をテキストとして選び、「讃美と世界宣教」を主題に話しました。万代先生と神学校の寮で同室であった山田先生は、50年前と勝るとも劣らない声量で讃美し司会。先生は、独唱で万代先生の最初期ラジオ伝道に協力なさっていたのです。
[2]1962年、万代牧師は
高校を卒業後、同じく開成聖書研究部のメンバ−であった吉枝隆邦兄に一年遅れて日本クリスチャン・カレッジ(東京杉並)に進学しました。
万代先生は、私の日本クリスチャン・カレッジ卒業式について記しておられます(1962年、『嗣業』誌の「日記より」)。
「卒業式で自分が導くことを許された魂が、伝道の最前線に立つのを見て感謝する。しかし特別な感激はない。普通の大学と異なって、神学校を出ることが、将来の保障につながっていないいからである。出てからが本当の試練なのだから」と言い切り、その視点から痛烈な呼びかけを、万代先生はなさいます。
「ただこの中から型破りの伝道者が出てくれることを祈る。・・・どうして、若い牧師に若さがないのか不思議でならない。少々の失敗はあってもいいじゃないか。キリストのために災となって燃え上がれないものか」と。
万代先生ご自身が置かれた時と場をしっかりと根ざし、キリストの愛への応答をなし「炎となって燃え上がる」生き方を日々送っている現実の中から、呼び掛けはなされています。
静かにキリストの愛への応答に燃える生き方を実践する一人の人間として、
「夕方六時半から卒業したM君の婚約式の御用をする」と、万代先生は、十歳年下の後輩の人生に真正面から直面くださっています。
万代先生の生活と司る式を通して、「小さく、雄大な詩篇百十七篇」のスピリットは、一人の小さな一九歳の婚約者へ注がれる眼差しとともに、先生から私のような者へも着実に継承されて行くのです。
「苦労するのが分かっていて、牧師の妻となろうとする殊勝な女性に祝福あれ。牧師もピンからキリまである。だからM君が用いられる有能な牧師になってほしい、そうでないと彼女が可愛そうである。」
[3]1986年、万代牧師は
時は流れ、場所は移る。その現実の中で、主の僕仲間(黙示録22章8,9節)の営みが繰り広げられ続けられます。
1986年、それまでの青梅キリスト教会の牧会や神学校や大学での役割を後にして、当時無牧だった首里福音教会の牧師となるため、私どもの家族は、沖縄へ移住しました。
驚いたことには、同じ年、沖縄で万代先生とお会いしたのです。
リバイバル教会の開拓伝道を、あの万代先生の説教を持って支援するため、実に月に一度、先生は沖縄を訪問なさっていたのです。
「宮村君。嫁さんが反対したら、沖縄へなんか来られなかったんだぞ」と、私の思いに先生は釘を刺してくださいました。
あの十九歳の婚約者も、キリスト信仰二人旅を続けて、正真正銘の中年。
さらにあれから20年余の沖縄での営みで老年。特にこの2006年以後修羅場の日々を通過したのです。
「型破りの伝道者」への道を少しでも歩み得たとすれば、万代先生の勧めによるのです。
小さき「殊勝な女性」とのキリスト信仰二人旅を先生の言葉は支えてくれています。
〔4〕集中と展開
世界宣教は、主をほめ歌う讃美の中から、そしてすべての国民が主をほめたたえることを目指す(詩篇117篇1節)、聖なる公同の教会の讃美から讃美への道。
その過程の中で、
山田先生の独唱が、
万代先生の軽快なタンバリンが、
栄嗣先生がアジアの諸国へ向けて響かせる英語の讃美歌が、
そして柴又の記念館で購入した寅さんの帽子から雪駄までの衣装をまとう、私の童謡説教さえも,みなその位置を与えられている。驚くべき、本当に驚くべき恵みです。