『止めを刺す』

『止めを刺す』

 今、日々私の意識している、万代恒雄語録の一つ、
それは、『止めを刺す』なのです。
 「宮村君、君は人がよくて甘いから止めを刺すときに、手が緩むんだ」と個人伝道の際、
信仰の決断への導きの時、一歩引きがちの私の実情を万代先生は、見逃さないのです。

 「戦国時代の武将が戦場に立てば、何が大切と言って、『止めを刺す』ことこそ、肝心要。
『止めを刺す』ことを、一瞬躊躇(ちゅうちょ)すれば、反対にと止めを刺されるんだからな、宮村君」。万代先生の指摘は、的確でした。

 1957年1月から8月まで、3月末の卒業式に東京へ戻った以外、万代先生宅で寝食を共にしながら、松山開拓伝道のお手伝いをさせて頂いている日々の中での導きでした。

 今、あるそれなりに難儀している一事の詰めにあたり、私は終末論的決断と実践と自ら意識し他の人々に言明しています。
 目的を実現するとの明確な信仰の決断が第一。そこからその実現のための献身的実践。これによりもっともらしい一切の言い訳からの解き放ち。

 うなぎやどじょうのように捕まえたとおもったら、ぬると逃げてしまう。
こうした事態に直面する心構え、それこそ終末論的決断と実践。

 しかし、しかし『止めを刺す』の迫力には遠く及びません。
「宮村君、まだまだ甘いな。そんなことじゃ、止めをさされるぞ。
止めを刺せ!止めを刺せ!」、万代先生の声が聞こえて来そうです。