沖縄の女性物理学講師から、1年締めくくりのメール届く

☆NK・女性物理学講師と、テオピロ神学リンクを通して神学の営みを続けてきました。今週,以下のように、1年締めくくりのメールが届き、感謝します。
 テオピロ神学リンクについては、次回のブログで紹介。

「宮村先生ご夫妻へ
お便り,ありがとうございました。

沖縄訪問・宣教のご報告を拝見いたしました。
豊かな再会と新しい出会いの数々の中に,
主の御業を覚えつつ,お喜びと感謝を申し上げます。

グレイスでのご奉仕(1/30),感謝を申し上げます。
特に印象に残っていることが二つあります。
説教の後,(向かい側に座っていた私をご覧になって)
「ここから見ていると,肩の荷が下りたように見える。」と先生はおっしゃいました。
どうしてかなと思い,その後,出した答えがこれです。
仕事を通して,主が私に何を求めておられるのか,
やっと自分のすべきことが解ってきたことからくる安堵感でしょうか。

仕事は神の召命であり,賜物であると受けとめております。
仕事を通して,クリスチャンである我々の働きを見て,
周りの方々が神様の存在を意識し,神様の栄光が現されることを目的とします。

以前は,私自身が主の御声を聞いて生きるという姿勢でおれば,
主が私を通して働かれるのだとそのように受けとめておりました。
しかしながら,実際の私は教会活動のために仕事を犠牲にしていたのです。
長い年月,集会への参加,奉仕,伝道活動をしながら,
一方で罪責感というか後ろめたい気持ちをずっと抱えていました。
その背景に,諸事情があったことは確かですが。

今年度,担当した授業がいくつかありますが。
今振り返って言えることは,およそ授業が楽しかったということです。
ある授業では,学生さん達の授業への取り組みが良くなったと感じました。
彼らの成長がその態度から伺えました。

研究活動においては,
今年度,新しい共同研究を開始しました。
少しずつ実験を進めて,最初の成果を得ることができました。
春休みの3月ですが,私のほうは研究活動を楽しみつつ行なっております。

科学的な営みにおける基本的な姿勢を確認し
その使命が与えられていることを賜物とし
神様の創造された自然を喜び探求していくことにおいて
私自身の存在の意義が在るのかもしれません。

先生がご自身の卒論の序文に書かれた以下の内容がその答えであると思います。
「人は神学的考察を開始する時,
すなわち絶対者の前に置かれた被造物としての自己を自覚する時,
初めて人となる。」

先の集会において,もうひとつ印象に残ったことばがありました。
「これから楽しいことが,一杯起こりますから。楽しみですよ。」と
君代様から励ましの言葉を頂きました。
 実は,言われた瞬間,私は固まっていました。いわゆる想定外の内容でした。
人生の半ばにおいて,最早,楽しいことは起こるまいと思っていた自分がいたようです。
 今は,主にあって成長させられることを願いつつ,人生における楽しみ,喜びも,
主がお許しになるのであれば与えて頂きたいと願っています。

話は変わりますが。
『礼拝に生きる民』を拝読し,主日礼拝を重んじることの大切さを教わりました。
礼拝の生活をなしつつ,前進し続けたいと願っております。

 最後に,テオピロ神学リンクを通しての全ての関わり,感謝を申し上げます。
直接,ご指導を頂き,感謝をしております。
神学生ということで,一年間を過ごさせて頂きました。
聖書を通して,主の御心に思いを巡らす静かな時間が持てたことを幸いに思います。

今後とも,どうぞよろしくお願い申し上げます。
NK」