ルカの福音書身読の手引き・その53

☆沖縄で聖書を、聖書で沖縄を読む。
首里福音教会、その主日礼拝を中心にした営みの報k告


「ソロモンよりまさった方」
ルカの福音書11:29−32

[1]序
 1992年の降誕節、このように教会学校の生徒と一緒に、主イエスによる救いを共に感謝し御名を賛美できます恵み、まことに幸いです。
今朝もルカの福音書を読み進めて行きます。今朝は11章29〜32節の箇所。11章28節で見たように、主イエスは、「いや、幸いなのは、神のことばを聞いてそれを守る人たちです」と、主イエスの宣教に心を開く人々の幸いについて明らかになさっています。しかし29節に見るように,当時のある人々は主イエスのことばを受け入れようとぜす、16節に、「またイエスをためそうとして、彼に天からのしるしを求める者もいた」とあるように、確かな証拠を求めると言って、主イエスのことばを拒絶したのです。
この状態に対して、主イエスは29節と30節で、「この時代は悪い時代です。しるしを求めているが、ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられません。というのは、ヨナがニネベの人々のために、しるしとなったように、人の子がこの時代のために、しるしとなるからです」と答えられています。
さらに旧約時代のヨナのニネベでの宣教と人々の応答を例(ヨナ書)とし、またソロモンの知恵を求めた、南の女王(Ⅰ列王記10:1〜10、Ⅱ歴代9:1〜12)の実例を通して、ご自身がいかなるお方であるかを示しご自身にどのような態度を取るべきかを教えておられます。

[2]主イエスはどのようなお方か
(1)「ソロモンよりまさった者」(31節)
 主イエスは、「その上に、主の霊がとどまる。それは知恵と悟りの霊、はかりごとと能力の霊、主を知る知識と主を恐れる霊である」(イザヤ11:2)と預言されているお方です。また「このキリストのうちに、知恵と知識との宝のすべて隠されているのです」(コロサイ2:3)と証言さられているお方です。「ソロモンよりまさった者」と言われるお方に対して、王の王・主の主と賛美を献げ得る恵みを感謝したいのです。

(2)「ヨナよりまさった者」(32節)
 神のことばを語った預言者たち。ヨナは特徴ある預言者として、異邦人の町ニネベの宣教に遣わされました。彼の宣教を通して、ニネベの人々は悔い改めのです。
 しかし世々の預言者たちと主イエスの関係について、ヘブル人への手紙1章1と2節で明らかにされている事実に注意したいのです。
 「神は、むかし先祖たちに、預言者たちを通して、多くの部分に分け、また、いろいろな方法で語られましたが、この終わりの時には、御子によって,、私たちに語られました。神は、御子を万物の相続者とし、また御子によって世界を造られました」。
 この終わりの時には、御子主イエスご自身を通して、父なる神は語られたのです。

[3]主イエスに対し,私たちの取るべき態度
 では、このお方にどのような態度を私たちは取るべきなのでしょうか。
(1)第一は求めです。
「なぜなら、彼女はソロモンの知恵を聞くために地の果てから来たのです」(31節)。神に知恵を与えられたソロモンの知恵を聞くために、南の女王がそれぼどの努力をして求めたとすれば、「ソロモンよりまさった者」であるお方に対して、私たちの取るべき態度は明らかです。最初のクリスマスの羊飼たちの態度に学び(ルカ2章15節)、主イエスのもとに進み求めるのです。

(2)第二は「悔い改め」
ヨナの宣教を通して、ニネベの人々が悔い改めに導かれたとすれば、「ヨナよりまさった者」であるお方に対してどのような態度を取るべきか明白です。

[4]結び 
 私たちは今朝降誕節を迎えました。御子がどのようなお方かを思い巡らし、このお方から知恵と知識を求めつつ、あらゆる分野で営みを進めて行く。
 また私たちの歩みを父なる神の御心にかなうものとなすべく与えられている特権と責任を思いつつ、悔い改めをなし続け、1992年の最後の日々を恵みを数えつつ感謝を献げ、そして新しい年1993年を迎える備えを進めて行くことが出来ますように。