ルカの福音書身読の手引き・その20

☆沖縄で聖書を、聖書で沖縄を読む。
首里福音教会、その主日礼拝を中心にした営みの報告。

「花婿が取り去られたら」
ルカの福音書5章33節〜39節

[1]序 
今週は、受難週です。主イエスの十字架への道を一年の歩みの中でも特別に思い巡らす週です。現在私たちが主日礼拝で読み進めていますルカの福音書では、19章28節以下に主イエスエルサレム入城からの最後の一週間について記されています。
 今朝は、ルカ福音書5章33節以下の記事を味わいましょう。この箇所は、「あなたの弟子たちは食べたり飲んだりしています」と食事とのかかわりで、32節までの記事と結び付きます。

[2]「花婿が取り去られたら」(33〜35節)
(1)33節。
①洗礼者ヨハネの弟子たち、断食を度々、彼らなりの祈りをなす群れとして(ルカ11:1、ヨハネ3:25以下参照)。洗礼者ヨハネの死後、エペソにヨハネの弟子たち。またパリサイ人たちの間では週に二度の断食(ルカ18:12)。

②主イエスの弟子たちに対して。悔い改め(32節)を目指すと言いながら、「食べたり飲んだりして」いるのは何故かと問い詰めます。

(2)34,35節。
 主イエスの答え。主イエスも断食を認めておられ(マタイ6:16以下)、初代の教会においても実践(使徒の働き13:2,3)。ここではなぜ主イエスの弟子たちがいつも断食しないかを説明しておられます。
①花婿がいっしょにいる今。
 主イエスと弟子たちの交わりを婚礼の日の喜びのたとえで。

②花婿が取り去られるとき。
 主イエスが十字架にかかり弟子たちが残されるとき、「あなたがたは泣き、嘆き悲しむ」(ヨハネ16章20節)。しかし花婿イエスの受難・十字架は弟子たちのためのです。

[3]一組のたとえ(36〜39節)

(1)新しい着物と古い着物(36節)。

(2)新しいぶどう酒と古い皮袋(37節)。
 この一組みのたとえで強調されているのは、「新しさ」。主イエスがもたらす新しさは、今までのものによって推し量ることのできないもの。

[4]結び
(1)花婿の取り去られるときとは、主イエスの受難十字架を指し示すことは明らかです。主イエスの受難・十字架により罪の奴隷、死の束縛から解き放たれ自由なものとされています。ガラテヤ5章1,13節。

(2)主イエスにある「新しさ」
 主イエスにある新しさがこの世の生活においても現されて行くとき、それは主イエスにある苦しみにあずかる面を持つ(ピリピ1章29節参照)ことを教えられます。しかもそれはなお花婿イエスにある交わりとして喜びが特徴です。