手間と時間をかけての交わりの重み

☆ブログと従来の書籍出版との関係を、日々痛感しています。
メールと従来の手紙の関係もそうです。
 以下に紹介するのはHD兄からの手紙で、まさに従来の手紙と従来の方法での出版で難産している著作集を通して竹の子・キリストの根で結ばれている交わりです。
 手間と時間をかけての交わりの重み。

HD兄は、銀行員を辞めて東京農大造園科に入学、郷里の気仙沼で念願の造園業を順調に継続している中で、3月11日の経験。
 すべてを失う中で、私の著作集も持って逃げたのです。厳粛な驚きでした。
彼とは、在来の手紙のやり取りで、深く励まされています。

「御名を讃美します。
『喜びカタツムリの便り』16号お送り頂き、ありがとうございます。
先生からの便りは、造園的に表現しますと、流れではなく滝です。
真上からどんどん降ってくるのです。
 しかし弾き飛ばされず、むしろその激しい水勢を心地よく受けているのは、
主が私を支えて下さっているからです。

 今は、まだ著作2を読み始ったところですが、著作6(『主よ、汝の十字架を我は恥ずまじ』ドストエスキーの神学的一考察)の刊行には、期待で心が躍ります。
 今は、まさに、『虚無なるもの』、『悪霊』が跋扈する時代です。
私の年代だけでなくて、特に次の世代、若い世代は、著作6を待望しているはずです。私も速やかな刊行を祈ります。
 「神を信じているようで、己をこそ神とする時代思潮の中で」と巻末エッセイにあるように、似て非なるものを見分けて、欺かれないように、ただ『十字架のことば』で武装して、日々喜んで生きて行くだけと思わされています。

 また『今の時、今の場所が主から委ねられた牧会の場』、本当にそう信じて歩みます。
 大震災を経て、この年・71歳になり、受浸して来年は50年になるという今、初めの信仰に戻り、日々、聖霊なる神との親しい交わりの中で聖書を開き、祈る幸いをいただいています。
 無牧になりましたが、教会は分裂することなく、心を一つにして御降誕節に備えており、私たちも、毎週のように気仙沼に通っています(礼拝や祈祷会に)。
年齢相応の衰えや痛むところもありますが、それも苦にならず、守られて生活を進めております。
 先生ご夫妻のご健康とお働きのために、花巻の地でおいのりしております。
 では、また。
         在主。  12月13日記    HD」