ルカの福音書身読の手引き・その18

☆沖縄で聖書を、聖書で沖縄を読む。
首里福音教会、その主日礼拝を中心にした営みの報告。

「罪を救す権威」
ルカの福音書5章17節〜26節

[1]序
 
 今朝は3月最後、そして1991年度最後の主日礼拝です。今朝はルカの福音書5章17〜26節を味わいましょう。

[2]中風をわずらっている人のいやし(12〜15節
(1)背景、17,18節。「ガリラヤとユダヤとすべての村々や、エルサレムから」とあります。主イエスのことが広い範囲に知れ渡ったいたこを示しいます。またこれらの地域は、これから読み進めていくルカの福音書が描いているように、主イエスが進み行く地域です。この箇所で見るような衝突が今後これらの地域でも起こることをあらかじめ示していると取れます。衝突の頂点は、エルサレルにおける主イエスの十字架です。

(2)「彼らの信仰」。18,19節に描かれている行為の背後に、主イエスは、「彼らの信仰」を認めておられます。中風の人を床のまま運んで来た人々の信仰は、中風の人を助けたのです。一人の信仰が他の人々を助けるのです。さらに25節から、中風の人自身信仰を持っていること教えられます。

(3)「あなたの罪は救されました」。この主イエスの宣告には、罪は救されたし(過去のできごととして)、救されている(今も継続し有効である事実として)ことを明らかにしています。 

(4)律法学者やパリサイ人たちの理屈。
 罪を救すことは神のみに帰せられるとの彼らの主張は正しいと認めざるをえません。
「わたし、このわたしは、わたし自身のために
 あなたのそむきの罪をぬぐい去り、
 もうあなたの罪を思い出さない。」(イザヤ43章25節)
 問題は、主イエスこそ罪を救す権威を持つお方であることを彼らが認めようとしない点です。主イエスは真の人となりⅠテモテ3章16節参照。

[3]罪を救す権威
(1)「人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたに悟らせるために」。罪の赦しは主イエスのうちに。この事実が、中風の人のいやしをしるしとして明らかにされて行きます。

(2)罪の赦しの結果。
①25節、中風をわずらっていた人は神を讃美し寝床を取りあげ、彼の信仰を示したのです。

②26節、人々は神を讃美し同時に恐れに満たされたのです。「私たちはきょう、驚くべきこと見た」。罪の赦しの恵みは、今ここで現実とされている恵みです。これこそ喜ばしいニュースです。

[4]結び
(1)「この人は、いったい何者だ」。
 マタイの福音書16章13節以下参照。「イエスは彼らに言われた。『あなたがたは、わたしをだれだと言いますか』」(マタイ16章15節)。主イエスこそ罪を赦す権威を持つお方。

(2)罪赦された者の讃美と礼拝(25節)は広がり行く(26節)。