ルカの福音書身読の手引き・その17

☆沖縄で聖書を、聖書で沖縄を読む。
首里福音教会、その主日礼拝を中心にした営みの報告。

「しかしイエスご自身は」           ルカの福音書5章12節〜16節

[1]序 
 4月からの新しい歩みを直前にしている方々の備えの導きを願いながら、今朝は、ルカの福音書の5章12節から16節の箇所を味わいます。

[2]全身らい病の人・新改訳3版「全身ツァラトの人」のいやし(12〜15節)
(1)「全身らい病の人」(新改訳3版「全身ツァラトの人」)。ハンセン氏病ばかりでなく、様々な皮膚病を対象とする律法の規定。レビ13章45、46節、民数記5章2,3節参照。規定の本来の目的からそれて、そのような病いに苦しむ人々は社会的隔離など厳しい状況の中で生活しなければならなかった実態。

(2)熱心な願いと信頼。
①「ひれ伏してお願い」。自分の状態をいやしてくださるのは、主イエスであると信じ、心の内にある信頼を外面の行為をもってに現す。彼がどれほど熱心な願いを持っていたか明らかにされています。

②「主よ」とのよびかけにも、主イエスに対するこの人の心の態度を現しています。

③「お心一つで、私はきよくしていただけます」。主イエスの御力を信じていやすことが出来ると信じているばかりでなく、自分の側の願い以上に主イエスの御心を大切にしています。

(3)主イエスのいやし。
①「手を伸ばして、・・・彼にさわり」。主イエスの限りない恩恵と好意が行為を通して現されています。

②「わたしの心だ。きよくなれ。」。主イエスのことばの権威はここでも明らかに。主イエスの行為とことばが一つになっていやしの恵みが与えられています。

(4)「モーセが命じように」(14節)
レビ記14章1節以下参照。祭司によりいやされている事実を確認し、またいやされた感謝を現すため。

[3]「しかしイエスご自身は」(16節)(1)14,15節。4章40節と42節参照。

(2)主イエスの祈り。
 「このころ、イエス祈るために山に行き、神に祈りながら夜を明かされた。」(6章12節)。
 「さて、イエスがひとりで祈っておられたとき、弟子たちがいっしょにいた。」(9章18節)。
 「イエスは、ペテロとヨハネヤコブとを連れて、祈るために、山に登られた。」(9章28節)。

[4]結び
(1)私たちはどのような願いを持つか。どれほど熱心に願っているか。

(2)主なる神様のご計画と私たちの願い。「わたしのこころだ。きよくなれ」。主なる神様の御心を願い求める。

(3)主イエスご自身の祈り。
 「したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのため、とりなしておられるからです。」(へブル7章25節)。