箴言の味読・身読に備えて

箴言の味読・身読に備えて

2012年年10月28日(日)午後
聖望キリスト教会 聖書味読・身読会

[1] 序

(1)今回箴言の味読・身読を計画した目的は、主イエスヨハネ10章10節において約束なさっている「豊かないのち」をしっかり受け止める生活・生涯をめざしてのことです。ヨハネ10章10節を注意深くよみます。
「わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。」、

賜物の豊かさばかりでなく、何よりも賜物を与えてくださるお方の豊かが中心。
ヨハネ1章16節
「私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けたのである。」、

パウロも、さらに実際的・具体的に語っています。
ピリピ4章8、9節、
「最後に、兄弟たち。すべての真実なこと、すべての誉れあること、すべての正しいこと、すべての清いこと、すべての愛すべきこと、すべての評判の良いこと、そのほか徳と言われること、称賛に値することがあるならば、そのようなことに心を留めなさい。
あなたがたが私から学び、受け、聞き、また見たことを実行しなさい。そうすれば、平和の神があなたがたとともにいてくださいます。」

(2)キリストの豊かさに根差す「豊かないのち」を証する聖書の豊かさは、
大きく見て、三つの関係を含みます。
①神と人の関係
 神から人へ・人から神へ(『神から人へ・人から神へ』の紹介)

②人と人の関係

③人と自然の関係
 例えば、家畜・ペットとの関係など
 箴言は、①の基盤に堅く立ちつつ、②についても十分注意を払っています。
では、③については、どうでしょうか。

[2]箴言1章1−7節
(1)「ソロモンの箴言」の意味

(2)目的、理解(2節)と体得(3節)の関係

(3)知識の基盤(7節)「【主】を恐れることは知識の初めである。」

[3]ヨナ書余滴:家畜さらにペットについての聖書の視点の素描

ヨナ書3章7、8節に見る、王と大臣たちの布告
「人も、獣も、牛も、羊もみな、何も味わってはならない。草をはんだり、水を飲んだりしてはならない。人も、家畜も、荒布を身にまとい、ひたすら神にお願いし、おのおの悪の道と、暴虐な行いから立ち返れ。もしかすると、神が思い直してあわれみ、その燃える怒りをおさめ、私たちは滅びないですむかもしれない。」(7−9節)
★「獣も、牛も、羊」(7節)、「家畜」(8節)。
さらになんと言っても4章11節、
「まして、わたしは、この大きな町ニネベを惜しまないでいられようか。そこには、右も左もわきまえない十二万以上の人間と、数多くの家畜とがいるではないか。」
「数多くの家畜」に対する、「惜しまないでいられようか」との主の配慮のことば。

参照
(1) 創造の記事における家畜
 神と家畜の関係、創世記1章25節
 人と家畜の関係の二面、①創世記1章26節
            ②創世記2章20−25節
(2) ノアの箱舟における動物、創世記6章20節
(3) 終末における人間・人格の独自性
 黙示録20章11節と20章12節以下の鋭い対比。動物について描写直接ない。
課題:なお家畜とペットの類似と区別も考えるべき課題。

[4]集中と展開
(1)集中
 あなたの「私の心に残る箴言のことば」は。

(2)展開 スケジュール
①11月 1:8−9:18
②1月 10:1−22:16
③2月 22:17−24:34
③3月 25−29
④4月 30
⑤5月 31