成沢炭鉱『礼拝の生活』再考、その84

1972年4月16日
『礼拝の生活』84号

(巻頭言)「高校生への宣教について―小名浜教会修養会の印象―」 

 4月8日、9日の二日間、福島県いわき市小名浜福音基督教会春の修養会で宣教にあたる機会を与えられました。
小名浜教会では、春と秋の二回教会修養会があり、会員全員が出席する責任があり、教会の歩みにとって大切な機会となっています。
 修養会では、8日の午後7時15分に第一回の集まり、9日の午前中の礼拝と午後の集会と全部で三回の集会を持ちました。
「聖書の読み方」について共に教えられ、感謝な集まりでした。
 
 修養会に出席して特に強い印象を受けたのは、高校生たちの姿でした。小名浜教会が高校生への宣教のために特別の努力を払い続けている事実は聞いていました。しかし実際にその現場を目にすることによって、一段と強いチャレンジを受けました。
 小名浜教会では、毎週土曜日午後に高校生会が持たれているばかりでなく、年間を通じて高校生のための特別集会、キャンプが行われています。
私たちが中学生会に見ていることが一歩進めた形で高校生の間で実行されているわけです。高校生への宣教が教会全体の祈りの課題とされていると身をもって感じてきました。
 
 私たち青梅キリスト教会でも、高校生への宣教は大きな課題です。小名浜教会の主にある方々も、青梅での高校生宣教のために祈ってくださっています。毎週の主日礼拝後の高校生集会の充実、6月に予定されている高校生のための特別集会が直接的な祈りの課題です。また、今年の夏の高校生キャンプに参加者が与えられるように祈りましょう。
 4月30日には、数年ぶりに、高校生が受洗します。感謝。

1972年春、小名浜福音教会訪問は、日本クリスチャン・カッレジ時代一年上級であった、故佐藤省三牧師との交流があって実現したのです。
在学中も、二、三度訪問したと記憶しています。

 現在は、いわき市の一部いわき市好間町大利成沢にあった、成沢炭鉱
戦時中、母典子は、私と次弟義男を連れて、東京深川からそこに疎開しました。
戦後復員してきた父泰二が直接炭鉱の経営に当たるようになると、黒いダイヤと呼ばれ掘れば売れる時代の流れの中で、中小も小に過ぎない成沢炭鉱も急速に活気を帯びるようになり、大勢の人々が集まりました。
佐藤省三青年は、その成沢炭鉱の成り行きをかなり知っていたのです。

 私は小学校4年生の時に東京に戻り、江戸川区小岩の祖母と一緒に生活するようになりました。その時は全く理解していなかったのですが、私の将来のため両親が備えをなしてくれていたのです。両親が東京へ引き上げてくるまで、休みごとに成沢で過ごしました。
 成沢炭鉱、いわき市福島県は、私の人格形成にとり、大きな影響を与えていると判断します(「神を愛し人を愛し土を愛す」『愛の業としての説教』、宮村武夫著作1,268−270頁)。 
2012年9月2日、日本同盟教団新船橋教会の主日礼拝に出席しました。
当日献堂7周年感謝記念礼拝と午後の特別集会(東日本大震災レポート)では、日本同盟教団いわきキリスト教会の増井恵牧師が、宣教を担当されました。
 幸いな交わりの中で、いわきキリスト教会は、小名浜福音基督教会の現在の名であると知り感謝しました。

 また増井牧師との交流の中で、成沢炭鉱再考の道が開かれることを期待しています。span>