聖霊論の学び、その①

  聖霊論の学び、その①                沖縄聖書神学校2001年秋期神学セミナー   
2001年10月22日(月)、23日(火)
第一回 『聖霊論の展開』をめぐって

[1]序

感謝
(1)今回の秋期神学セミナーについての理解
各自の実に多様な背景。 
しかしそのような多様な背景を持つ私たちが、今、ここで、一つの課題、『聖霊論』の学びを目的に、心を一つにして集っている事実。この事実が可能になるためには、沖縄聖書神学校の存在。

(2)今回のスケジュール
1回目 今まで、『聖霊論の展開』をめぐって。 
2回目 今、Ⅰヨハネに見る聖霊ご自身。
3回目 今から、徹底した聖書信仰・徹底した聖霊信仰から見る沖縄宣教。

(3)話し手の心にある思い、確信
聖霊、聖書、教会の関係に立つ、聖書解釈の喜び。
徹底した聖書信仰と徹底した聖霊信仰の不可分な関係。

[2]共に学ばして頂く私の背景

聖霊論の視点から見、また『聖霊論の展開』を書くまでの経過。

いぬぼう神学。
犬も歩けば棒に当たる、人間生きれば、恵みに当たる。
「成り行き」、それを「摂理」と言うのだと吉枝兄(HiBA代表)は指摘。

ひらがな神学への道。横文字でも、漢字でもなく、ひらがなで恵みの事実を表現する営みを継続。

(1)キリスト信仰への導き.
高校生のとき,東京の江戸川区小岩の日本アッセンブリー教団小岩基督教会(万代恒雄牧師)の伝道集会で。すぐに高校での聖書研究会(指導,HiBAの堀内彰さん)の一員として。高校卒業前後、留学の願いと四国での開拓伝道手伝い。

(2)受けた神学教育
日本クリスチャンカレッジ(現東京基督教大学)、ゴードン神学院(現ゴードン・コンウェル神学校)、ハーバート大学神学部、上智大学神学部。

 この間、日本クリスチャンカレッジ在学中、吉祥寺教会で竹森満佐一先生の水曜聖研に出席。また同カレッジ2年生の時に、内村鑑三全集に出会い、その後現在まで、高橋三郎、新井明、佐藤全弘など諸先生との主にある交わり。

(3)牧会、三つの教会
寄居キリスト福音教会(1967年10月から)、
青梅キリスト教会(1970年4月から)、
首里福音教会(1986年4月から)の牧師として。

(4)参与した神学教育
東京キリスト教短期大学・東京基督教大学(1969年から数年前まで)、
日本基督神学校・東京基督神学校(1972年から数年前まで)、
日本女子大学(1978年から1986年まで)、
沖縄聖書神学校(1986年から)

担当科目 新約各書、聖書解釈学、新約神学、数年前から組織神学。

立場の自覚 無教会からローマ・カトリックまでを意識しながら、聖書的エキュメニズムの道を提唱、実践。

(5)直接の背景
日本福音キリスト教会連合に属する教会の牧師として.
1968年5月、リーベンゼラ、単立連盟、新約、合同ついて正式に取り組み。
1968年キリスト教中連合
1992年4月29日、日本福音キリスト教会連合発足。その際,「カリスマ問題 に関する合意事項」を設立総会で承認。
その後、合意事項とのかかわりで、9教会離脱。その数教会は、1995年5月27日 日本リヴァイバル連盟の発足に、その中の幾つの教会大きな役割。
この一連の流れの中で、離脱が持つ意味の大きさを真剣に受け止めるよう、また合意事項の意味と実際の機能を直視すべきと宮村は発言し続ける。

 1999年4月、日本福音キリスト教会連合は、『対話のための 聖霊論集』を発行、宮村は、全国神学委員長として、『聖霊論の展開』を執筆。その際、論集には縮小版が載せられ、宮村は、全文版を自費出版

②聖書を沖縄で読む課題と喜び。
「聖書を」と「聖書で」
沖縄で神学するとは。
沖縄で、聖書を読む、聖書で沖縄を、そして世界を読む意味を自覚。

[3]『聖霊論の展開』の執筆前後に意識したこと。

(1)目次を手掛かりに。
方法論:聖書学,教会歴史(歴史神学),組織神学,宣教学,実践神学など複合的な視点から.

Ⅰ序
聖霊,聖書,教会
聖霊,喜び,教会

Ⅱ聖書に見る聖霊ご自身についての記述・教え
旧約聖書において
新約聖書において
1多様性と統一性
パウロ書簡として,ガラテヤ人への手紙
3ルカー使徒の働き
ヨハネの黙示録

C旧約時代と新約時代

Ⅲ教会の歴史全体における聖霊(論)受容
A世界の教会における
使徒信条の構造から学ぶ教会史の通観
2教父時代,アタナシオスの場合
宗教改革時代,カルヴァンの場合
4現在の状況

B日本の教会の歴史において
1日本プロテスタント教会の初期
2北の宣教師ピアスの場合
3無教会の内村鑑三の場合
4今,ここで,聖霊論をめぐる日本福音キリスト教会連合が直面している課題

聖霊論の展開,その方向
A救いの御業の一部,特定のことだけでなく,その全過程において
B教会の特定の個人だけでなく,教会のすべての人々に
C救済論の領域だけでなく,創造論の領域においても

Ⅳ結び
聖霊論の三位一体論的位置付け
B実際の生活・生涯の中で
聖霊論と終末論

(2)中心点。ⅢとⅣから,一面・一部ではなく両面・全体       

[4]結び
二つの自覚、そして慎みの神学。

(1)一面でなく、両面を。一面をあたかも全面として主張する動きに抗して、そのような動きの問題点を指摘し、退けると共に、両面を見る広さと両面の含む豊かさを指し示す役割。
同様に一部をもって、あたかも全面であるかのごこく誤解し、主張する動きに問題点を指摘し、全体の豊かさを指し示責任。

(2)全体の中で自らの位置を自覚、自らが全体の一部に過ぎないことを覚える。と同時に、どのように小さく、また弱くあっても、全体の中で、掛け替えのない場と役割を与えられている恵みを見失わない。

(3)慎みの神学。
キリスト(論)と聖霊ご自身(論)の密接,不可分の関係を注意。パウロ書簡から、次の二つの箇所を味わい、慎みの神学の起点を確認したい。
①ローマ12章3節。ローマ人への手紙全体における、12章3節の位置と意味。
 常に「すべて」を、万物の創造者の視点で。また主イエス・キリストの視点からすべてを見、生き、伝えるパウロの姿。伊江島中高生キャンプでは、毎回タッチーの頂上で、コロサイ3章3章11節。

②主イエス受肉の事実と信仰(神学)に堅く立ち,聖霊のご自身のあらゆる面での働きにと導き徹底的に立つ歩みを,パウロがテモテに勧めている生き方(Ⅱテモテ1章7節),『慎みの神学』と呼びたい.
「神が私たちに与えてくださったものは,おくびょうの霊ではなく,力と愛と慎みの霊です」

 力,愛そして慎み!聖霊ご自身と主イエス,とくに受肉(全き神がとき,場所の制約の中に来り,全き人となられる)の事実と信仰が不可分。聖霊ご自身に徹底的に頼る,キリスト者・教会も,とき(今)と場所(ここで)に派遣され、止まる使命が大切であることを決して忘れない.

 「御手の中では」は,In His Time. 詩篇31篇14,15節
◆高慢と絶望からの解き放ち.
◆ 自らの分を弁え,分を果たす道.聖霊ご自身の導きにより希望と忍耐。
聖霊ご自身に導かれ,みことばが知・情・意の奥の心に刻まれる→必ず,知・情・意に影響,さらに生活・生涯に結実,教会形成と成長.これが同時に,地の塩,世の光りとしての役割,文化命令の遂行.