聖霊ご自身『礼拝の生活』再考その51

1971年8月1日
『礼拝の生活』51号

(巻頭言)「夏期聖会近づく−8月12日(木)〜15日(日)−」 

夏期聖会が近づいてきました。8月12日から15日まで、
「御霊によって歩みなさい」との主題のもとに、各地から集められた主の民が、主の御言葉によって悔い改め、慰められる主に賛美を献げつつ、豊かな祝福を共に分かち合う機会が近づいてきたのです。
 
 昨年の聖会で学んだユダの手紙20節の聖霊によって祈り」という聖句が、この一年間私たちを導いてくれました。
 牧師会は、この一年間、聖霊についての学びを続けてきました。
聖霊の働きの広さ、豊かさに感動し、感謝しながらの歩みでした。そして、その学びは、単に牧師会の学びだけではなく、全教会の学びだったのです。本当に深い意味で、そうなのです。
 
 昨年以来の私たち全体の歩みを背景として夏期聖会は開かれるのです。
救いと聖霊
キリスト者生活と聖霊
復活と聖霊
と各集会のテーマに一貫して流れている中心主題は、主なる神の大きな、深い恵みに満たされて生きるとは、どういう生き方かということです。この主題は、キリスト者の第一歩であり、第二歩であり、そして、すべてです。
 
 中心主題を囲んで、種々様々なプログラムが計画されています。
もう一度聖会プログラムを熟読して、個人としても、自分なりの積極的なプログラムを打ち立てられるように勧めます。どの集会に、どのような目標で参加するかを考えながら、聖会プログラムを読み直すことは、第一楽しい事です。
 
 8月15日について考えます。最初の日本への宣教師ザビエルの渡来が1549年8月15日。あの1945年8月15日。そして今年の8月15日。

★『日本新約教団が目指したもの、その今日的意味』について考え、許されるなら何らかの記述をしたいと考え始めています。
 その一つは、聖霊ご自身、聖霊論の恵みについてです。
今回改めて確認したことは、1970年、1971年の時点で、聖霊ご自身について、聖霊論の恵みについて、日本新約教団でいかに生き生きと語られていたかの事実です。
ところが日本新約教団も加盟した、1992年の日本福音キリスト教会連合の設立の過程で、
「カリスマ問題」とか「カリスマ問題に関する合意事項」とかが課題となり続けた。
「問題」との表現、センスが問われます。
設立時に、「カリスマ合意」をめぐり、私にとって牧師としての歩みの原点である寄居キリスト福音教会を含め9教会が離脱しました。
当時から私は、四つが一つになった喜びを強調するだけでなく、一つが二つに分裂した悲しみも重く受け止めるべきと主張しましたが、所詮犬の遠吠え。

 ところがもう一つ。1997−98年、全国運営委員会神学委員会の委員長の役割を私は与えられ、『対話のための聖霊論論集』のため神学委員会が労することになったのです。
聖霊論の展開」を担当した私は、早くから素案は準備していたのです。しかしかなりひどいウツ状態が続き、やっとこさ最後のぎりぎり10日前後で一気に書き上げたのでした。
まさに主の一方的な哀れみです。

 今にしてなお無念なのは、畏友荒井隆志先生の労作が、不当な圧迫で論集に加えられなかったことです。
小さな日本新約教団が目指したもの。
それは、主のみを恐れ、主以外のなにものも恐れない道であったと今にして悟るのです。
荒井隆志先生の信州の地からの、重厚な発言を今後も期待して