またまた先を行く吉枝君

先週7月9日(月)、日本センド派遣会理事会のため出かけた武蔵野線東所沢駅でのこと。

ホームから改札階までエレベーターに乗り降り立ったところで、かなり離れた距離とは言え、改札口に近づく吉枝隆邦君の後姿を見て、大声で声をかけようとして、付き添いの妻君代に止められました。
駅から普通十数分で行けるセンドセンター、杖をつきながらの私と一緒だとそうは行かないと言うのです。
そうです。先を行く吉枝君です

吉枝君と私は、中学と高校共に同期です。毎年クラス替えがあるのに、高校2年まで一度も同じクラスになったことなく、知り合うこともありませんでした。
ところが、T.L.オスボーン先生の映画上映のため一枚のポスターを提示した私の小さな一歩が切っ掛けとなり二人は出会い、主にある共なる歩みが始まりました。

高校3年生の思いで多い月日の後、吉枝君は、日本クリスチャン・カッレジへ進学。
私は、アメリカのペンテコステ系の聖書学校への留学をも念頭に置きながら、高校卒業前の1月から、松山の万代恒雄先生の開拓伝道のお手伝いに従事しました。
 ところが留学の道が開かれず学びの必要も感じたり、あれこれ猪突猛進の結果を摘み取ることなり、8月には東京に戻ることになりました。

 そこで思わないことが生じたのです。
日本クリスチャン・カッレジの吉枝君を訪問、それが切っ掛けになり、秋からは聴講、
翌年試験を受けて、1年先生として入学。吉枝君の存在を抜きに、私が日本クリスチャン・カッレジに進学したとは、全く考えにくいのです。
 二人は、高校は同期。しかし日本クリスチャン・カッレジでは、吉枝君が1年先輩。
そうです。先を行く吉枝君です

1年だけではありません。
脳梗塞の発症に至っては、吉枝君の発症は、2009年の私の発症の10年前です。
私よりも重症な中から回復、生涯一筋の道・日本hi-b.a.高校生伝道への専念を貫いたのです。
 そうです。またまた先を行く吉枝君、感謝。