女性物理学講師と喜びカタツムリ−沖縄からの・沖縄へのメール−

女性物理学講師と喜びカタツムリ−沖縄からの・沖縄へのメール−
テオピロ神学リンクの一員からのメールと応答。
沖縄からのメール
「・・・それで,昨日,思うところあって,脳外科医が書かれた一冊の本を購入しました。林成之著、『勝負脳の鍛え方』です。
神様は,人間の脳にどのような機能を持たせたのか。
脳はどのようなしくみで働くようにされたのか,この観点から読み通しました。

脳は本来,どんなに意見や考えや立場が違っていても,お互いを認め,ともに生きることを望んでいる臓器なのだそうです。

読み進めながら思ったことは,たとえ,本書で紹介されている内容,脳の働き方を知らなかったとしても,
クリスチャンは聖書を読んで深く理解し,聖書のみことばに従って生きることで,勝利へと導かれている事実です。

併せて,脳の働き方を教わったことは,私にとって力となり感謝となりました。
その中から記憶についての話をいくつか紹介し,それについて思うところを述べます。

記憶は,忘れるようにできているそうです。
見たり聞いたりした情報は,短期記憶中枢(海馬回)でいったん忘れられ,再構成されて前頭連合野に伝えられるのだそうです。

私たちの記憶は,頭の中で再構成されたイメージ記憶によって,できあがっており、伝えられる情報は,一直線に前頭連合野に向かうのではなく,途中でさまざまな神経に寄り道をするため,その情報に自然に感情の情報が組み込まれるシステムになっているとのことです。

以前,宮村先生の首里石嶺のご自宅で,聖書を学ぶ機会が与えられました。
著作5『神から人へ・人から神へ』の中の,「ヨハネ福音書(15:26-27)の一考察」、当時の私の記録,ノートから転記します。

『我々は,直接,二千年前のイエスに会ってはいないので,直接の記憶は無い。
それでも現在生きている自分と関連付けて見ることが出来るのは,聖霊ご自身の働き,救い主として受け入れる信仰への導きによる。]

『直接体験していない,イエスの死と復活の事実を(聖なる公同の教会は)記憶として憶えている。これが二千年の間,教会の信仰の中に生き続け現在に至っている。
これこそ,真に聖霊ご自身の働きによる。』

以前に先生がご指摘されていた上記の内容を踏まえて,脳の働き,記憶のしくみを考えてみますと,

未信者にとっては,二千年前のイエス・キリストの十字架は,歴史上の出来事として記憶される。一方で,信者にとっては,その事実は,救いの体験も一緒になって,ひとつのイメージ記憶として,保存されているのではないか。(もしくは,両者がリンクされて保存)

個人的な新生体験にまつわる感情が加わることで,より強く感情を伴ったイメージ記憶として,記憶されている。思い起こすときに,心がふるえるのはそのためであろう。

本日は,この辺りで,筆をおきます。
深く考えることは,今後の課題として残しておきます。先送りです。
次は,課題のほうに集中していきたいと思います。
以上

NK
2012年7月1日 聖日

沖縄へのメール
「・・・
 首里福音教会から離れた修羅場の日々、石川福音教会の重元先生の勇気ある決断で実現した、あの「沖縄で聖書・聖書で沖縄」の集いを改めて感謝しました。
 狭い私たちのアパートに、10名以上の方々が集い、それぞれの持ち場・立場に立ち熱心に学び、楽しく論じ合った忘れがたい恵みの思い出です。

 聖霊ご自身と記憶の関係は、日本クリスチャン・カッレジの1年生の時以来の生涯の課題です。
カルト化した教会や職場で受けていたハラスメントの記憶も次々と思い起こされ,気が重くなって,ついには思考停止状態に陥ってしまう状態が今なお起こる中で、、なおも記憶の課題を正面から取り上げる勇気に敬意を払います。
聖霊ご自身と記憶の課題は、なおなお興味の尽きない課題です。
この8月の松原湖の夏期聖会に向けて、ヨハネ福音書14−16章を恩師の労作・注解書を手引きに短期集中的に考察したいと願っています。

 今日は、記憶と深い関係のある「忘れること・忘却」について、二、三のことをお伝えします。
 あの集いにも熱心に参加されていた、中嶋聡医師が、「『心の傷』と『忘れる』こと」と題する論文を書いています。コピーを別送します。
1. はじめに
2. 問題提起
3. 聖書における心とその時間的構造(過去−現在−未来)
4. 「忘れる」という心的態度
5. 臨床から
6. おわりに

  論文の最後には、いつものことながら、一患者である私の背後にある聖書に対する態度を、「首里福音教会・宮村武夫牧師には、多くの貴重なご教示をいただきました。深く感謝申し上げます」と明示しています。
 また紹介した、畏友清水武夫著、『ヨブ記』(新聖書講解シリーズ10)をさすがの読みで論文の中で生かしています。

 今ここで確言できることは、聖霊ご自身は、記憶と忘却の両面において、恵みの御業を私たちの心、生活・生涯においてなし続けてくださっている事実です。
 
 難産で、刊行が遅れています、著作2『申命記』の巻頭言として、清水武夫先生が執筆くださった、「回顧と展望の原点を共有して」を添付します。

 夏から、沖縄の秋の日々、研究と教育の営みの上に、
祝福が豊かにありますように。

 忍耐と希望(ローマ8章25節)
 宮村武夫・君代」