『高校生への宣教・2」『礼拝の生活』再考その50

1971年7月11日
『礼拝の生活』50号

(巻頭言)「高校生への宣教(2)」 
 同じ高校生といっても、この十年で随分事情が違ってきています。
少なくとも外面的には、十年前には考えられなかったような雰囲気を持つおとなびた高校生が多くなりました。
先日もトラクトを配布しながら、高校生なのかどうか判断できずに困ってしまう場合が何回もありました。型にはまった高校生らしさ、高校生像といったものは、もはや存在しなくなりつつあるのではないでしょうか。

 こうした現状の中で高校生への宣教と、高校生と特定の対象を、私たちがあえて強調する理由があるのでしょうか。私は大いにあると確信します。非常に単純な理由で、それは、高校生時代は人の生涯にとって、自分の方向を根本的に決定する大切な時期だからです。たとえば、私たちの想像以上に多くの人々が、高校生時代、つまり十代の後半において、生涯の職業を決定しているのです。
 これからは、一度定めた職業を生涯続けるケースは以前より少なくなるだろうと 言っても、十代の後半が人の職業決定にとって重要である事実は同じです。
 勿論職業が人の生涯のすべてを決定するものではありません。しかし職業選択と十代の後半の関係は、高校生時代が人の生涯にとっていかに重要なものであるかをはっきりと示している確かです。

 このような高校生時代に、キリストを知り、キリストに従って生きる決心をする場合、その人にとっては、生涯の一部分として信仰生活、宗教生活があるのではなく、キリストを基盤として全生涯の全領域を歩む可能性が大きく開けていることを意味します。自分の職業選択を含めて、いかに生きるかを聖書の宣言に従ってなし続ける土台が、高校生時代に築かれるのですキリスト者としていかにこの世で生きていくか、キリストの教会が歴史の流れの中にあっていかに積極的参与していくかなどの重要な課題は、高校生へ正しく、深く、豊かに福音が伝えられ、力強い応答がなされていくことと最も密接な関わりがあると確信します。
 
 キリストを基盤として生涯を歩む決断をなした高校生たちの信仰の歩み、成長に従って、各地方教会の体質がどのような強い影響力を受けるかは、今までの教会の歴史が示しているところです。
それは、また青梅キリスト教会過去間歩みを検討するだけでも明らかになる事実です。このようなわけで、高校生への宣教は、高校生各自の個人的な問題にとどまらず、常に全教会的な課題なのです。
 青梅キリスト教会の現在について思いめぐらすとき、高校生への宣教の重荷が心の中にますます重く大きくなっていくのを、どうすることもできません。

 どれ程の期間が必要とされても、どれ程犠牲を払うことが要求されても、高校生への宣教を、絶えず繰り返し続けていかなければならないと痛感します。
それが困難であればある程、高校生像が急激に変化すればする程、高校生への宣教の重要性は、ますます明らかになってきます。
 
 現代の高校生たちの苦しみや不安を、私たち自らのものとして受けとめて、苦悩しつつ、なおキリストにある望みをはっきりと見つめ宣べ伝えことが出来るか青梅キリスト教会がキリストの教会として、今の時代に生き続け上で大きな課題なのです。
 高校生たちに、どのようにして福音を伝えていくか、常に創造的な試みを続けていきましょう。目に見えるところの結果に絶望しないで、光栄ある使命を果し続けましょう。

★高校生へ聖書を伝えたいとの願いと実践は、高校生時代にキリスト信仰に導かれたことから、ごく自然な成り行きです。
青梅の16年間ばかりでなく、それ以前の埼玉県寄居においても、沖縄の25年間も、一貫して高校生への働きかけを継続してきました。

 1967年10月4年間のアメリカ留学から帰国、寄居キリスト福音教会へ戻った時、最初に始めた働きの一つは、女子高校生Eさんとの個人的な学びでした。
 
毎週土曜日のひと時、ハイデルベルグ信仰問答を用い口数の少ないEさんとの学びを継続しました。まあ地味な集いでした。
1970年4月私たちが青梅へ移住した後、Eさんは短大の英文科を卒業して、青梅キリスト教会のもみの木幼児園で働いてくれました。
その後、小学校教師の青年と結婚に導かれ、相思相愛の夫妻でした。

ところがO兄は、年若くして、主の身元に召されたのです。
この悲しみの中から、Eさんは、市会議員として、20年地域に根差した地道な歩みを積み重ね、同時に、沖縄竹富島の方々との交流を深めています。
現在テオピロ神学リンクの一員として、祈りと意見交換を通して励ましあっています。
私たち夫婦にとり、主からの特別な慰めです。