『礼拝の生活』再考、その35

1971年2月21日
『礼拝の生活』34号

(巻頭言)「波紋」 
青年会(ぶどうの木)修養会が、2月10日、11日、奥多摩バイブルキャンプ場で持たれました。詳しい報告は、今、準備されている青年会の文集を通してなされます。期待して、待ちましょう。
 
 ところで、この修養会が、教会内の他の年会層にも、少なからず影響を与えつつあります。まず青年会の修養会に、二名の老年の方が参加され、とても有意義な時を送られたことから生じた波紋です。それは、年を召された方を中心とした、一泊の修養会を持てたらとの案です。会場は、温泉がどうかというものです。青年会の修養会から、近い将来シメオン、アンナの会(ルカによる福音書二章参照)が生まれるとすれば、これは決して小さなことではありません。
 
 次に春休み中に、中学生の一日修養会を教会堂で持つことが出来たらとの願いです。中学生の集会が、一歩一歩充実していることは、本当に感謝です。四月からの新しい歩みを前に、現在の六年生(六、七名のメンバー)を招き一日修養会を持ち、中学生としての現実の中で、キリスト者としての自覚に目ざめ、また中学生クラスに積極的に参加していく機会としたいのです。
春休みの一日、中学生にとって、意味深いものとなれば感謝です。
 
 修養会ばかりでなく、すべての点に渡って教会の一肢体の歩みが、直接、間接に、他の肢体全体に良い影響を与え続け、小さなことが波紋となって、全体に広がっていくようにと願い続けます。個人と全体の関係について、生きた解答を与えられるためにも。

★この文で用いてる「波紋」は、私のキリスト信仰理解とその提示にとって、重要なものとなりました。小さな石として死にきり、与えられ委ねられた場・池に身を投じ沈みきるなら、恵みの波紋が静かに広がり続け、何ものもとめることができない。波紋は、やがて目差す地に至る。この確信とその表現とは、あの時の青年会修養会が原点です。

もう一つ、忘れ得ないのは、シメオン、アンナの会ルカによる福音書二章参照)の発足と着実な歩みです。後には、シメオン、アンナの家の夢は実現しませんでしたが、シメオン、アンナの部屋が備えられ、青梅キリスト教会の特徴の一つになりました。

 さらに一泊の修養会を持てたら、会場は温泉の願いも実現しました。
特に心の思い出は、生涯の友清水武夫先生とシメオン、アンナの会修養会との経緯です。
 清水先生がアメリカ留学から帰国、拙宅を訪問して下さるのと修養会の日程が重なってしまったのです。
そこで清水先生を修養会にお誘いし、聖書のお話しを依頼したのです。
今に続く、いやこれからますますの清水先生の説教牧会者としての新たな歩みの第一声は、あの奥多摩のシメオン、アンナの会修養会でなされた。これは、私のひそかな(今やそうではないですが)喜びであり誇りなのです。