東京下町、東京スカイツリーだけでない

6月3日(日)、東京足立区の足立キリスト教会の主日礼拝出席のため、千葉市川の自宅を後に。
タツムリの歩みでも10分の京成国府台駅へ、電車が直ぐに江戸川を越え東京へ入ると、少し遠方であっても、さっそく東京スカイツリーの姿が見えてきます。
電車とバスを乗り継いで1時間あまり、足立キリスト教会に着くまで、実に様々な方角から、趣の微妙に違うスカイツリーの姿を楽しみました。あたかも一緒に小さな旅行に同行してくれたかと錯覚します。
 まさに東京下町に、東京スカイツリーありです。

 みことばの説き明かしに心満たされ礼拝堂から玄関へ。
そこで、I夫妻と1年ぶりにお会いし、ご夫妻に慰めのことばを心をこめてかけました。
 I姉は、三人姉妹の真ん中で、三人とも青梅キリスト教会付属のもみの木幼児園卒。ご両親のキリスト信仰を素直に受け継ぐ恵みに生かされ、高校生の時には、姉妹で沖縄・伊江島中高生キャンプに参加してくれました。十名余のもみの木幼児園卒・伊江島中高生キャンプ参加者の一人。歯科衛生士。
 I兄は、君代と同じ岩手の出身、しかも広い岩手の中でも一関と北上と近隣の間柄。
さらにI兄が言語治療士であり、脳梗塞発症以来、私にとり親しい職種の人と幾つのことごとが重なって、ご夫妻とは、世代を越えて親しい思いを抱いて来ました。

 主日礼拝後の立ち話の余韻の残る翌日、立ち話では話題にでなかったより細部にわたるメールを受け取りました。そうです、魂のメールを。
 メールの内容表現に感じ入り、私たち二人だけに留めていけないと判断し、6月10日に思い切ってブログ掲載の可能性を尋ねる電話したのです。
 翌日には、さらに胸を打つメールを受け取りました。
以下が、最初のメールです。

「宮村武夫様 君代様。
主の御名を賛美いたします。
いつもお祈りに覚えてくださり感謝いたしております。
父・・・は4月19日に埼玉県ふじみ野市・・・にある特別養護老人ホーム・・・に入所いたしました。
母・・・は青梅に帰っております。

足立の地に越して丸3年が過ぎましたが、母の介護難をみかねて主人・・・が同居を薦めてくれたおかげで、家での介護を少しでも長く続けられたことに主に感謝しています。

2年前の事、介護状態が重くなり過ぎないうちに特養を申し込もうと私が勧めると、母が父を施設に入れるのはまだ若いし頭がまだはっきりしているしかわいそうだからせめて60歳になるまでは家で看たいと言って申し込みを渋っていましたが、申し込んでもいつ順番がまわってくるか分からないからと私が説得をして昨年・・・を申し込んでいました。
すると一年も待たないうちに入所することが出来ました。しかも今年の3月24日に還暦を迎えてからのことでしたので母が思い描いていた通りになりとても感謝なことです。
申し込んだときは・・・から200人待ちと言われていましたが、要介護5と重いので順番が繰り上がった結果だそうです。

昨年私の妊娠が判ってからは身体面の介護を母がほとんど行っていたので、無理がたたり母の体調が悪くなっていくのを見て祈ることしか出来ずにいました。
そんな中で出産予定日を2日後に控えていた1月8日に胎盤早期剥離により大量出血をしてしまい恵理也が天に召され、私も生死を垣間見るような事態となってしまい、
母をはじめ家族のショックは計り知れないものだったと思います。
私は病院に運ばれてお医者さんに胎児の心音が確認できません、と言われたときに子どもは天国に行ったんだと不思議と平安に包まれ大きなショックもなく冷静に受け止めることが出来ました。
しかし自分はまだ死にたくないという気持ちが強くあり、祈りながら手術を受けました。全血液の3分の2を出血しており血がサラサラになり過ぎて出血が止まらない状態にありましたが、輸血を2日間して、その後の合併症からの危機も脱し、看護師さんも驚くほどの驚異的な早さで回復し、10日間で退院することができました。
そして多くの方が私たち家族のためにお祈りしてくださったことで、平穏な生活を取り戻すことが出来たのだと確信しています。

 父と母の今後のために続けてお祈りに覚えていただけたら幸いです。
青梅から電車とバスを利用して行くのですが、乗継が悪くいつも片道3時間かかってしまうようで、頻繁に会いに行くことが出来ず、今は週一回ぐらいしか行けていないので、父が寂しがっているようです。透析を行っている人を受け入れてくださる特養がほとんど無い為、場所を選ぶことが出来ず残念ですが、今現在は私たち家族にとっての最善だと思っております。

 武夫先生君代さんの上に主の豊かな祝福がございますよう、今後のお働きと健康が守られますようお祈り申し上げます。
IR」

★東京下町、東京スカイツリーだけでない。
東京下町足立区に、こんな若夫婦がいる。足立キリスト教会が存在する。
 以下が、6月11日に受け取った、さらに胸を打つメールです。

「武夫先生に
 昨日はお電話をくださり有難うございました。
主人に話しをしたところ、快諾しておりました。
どうぞ、武夫先生のブログにお役立て下さい。尚、ご不明な点がございましたらご連絡下さい。

 今回の事で多くを学びました。恵理也を身ごもった時は、この世に生まれて当然の如く子育てに励むものと思っておりましたので、天に召されてすぐの頃はとても寂しく思いました。
 ですが今はとても幸せに感じております。

 世の中の人は私をみて、子どもを亡くしてなんて不幸なんだろうと思うかもしれませんが、
私の気持ちは子どもが天国の神様のみもとに行けた事の喜びの方が大きいのです。
それが一番の幸せだと思っているからです。

 正直にお話しすると、恵理也が亡くなった当初、母が多くのことを後悔し、あれが善くなかった、こうしていれば善かった、神は与える神でもあるけれど、 とることもするのは、祈らないからだ、信仰が浅いからだと私にも反省すべき点があると攻められて、後悔ではなくなぜ素直に天国に行ったことに喜んでもらえないのかと苦しんだ時期がありました。
 きっと親の責任感から、いてもたってもいられず言いたいだけ言ったのだと思います。
 でも、私は恵理也が天に召された意味はそういうことではないと思っていたので時間と共に母の気持ちの整理が付くよう祈りを捧げました。

 今でも恵理也のことを思い出して寂しくなり涙することはありますが、
天国へと見届けられた安心・安堵感はクリスチャンの親ならではのことではないかと思います。

 今ある当然だと思っている生活、命の尊さに改めて神に感謝せずにはいられません。
 また、子どもを亡くして深い悲しみに気持ちが沈んでしまうことなく、幼い安奈を今まで以上に神様からお預かりした子どもとして大切に育てようという思いになったこと。
 そして安奈が幼いながらも弟・恵理也のいる天国を身近なところとして感じる機会を与えてくださった神に深い愛を感じております。
在主
IR」

★俗に言うじゃあーりませんか。
ゴキブリが部屋で1匹いれば、その部屋には・・・匹のゴキブリがいると。
ましてや東京下町に、地の塩、世の光である一組の苦悩を通過し希望と忍耐を併せ持つこの一組の若夫婦が現に生活しているのだから、東京下町に・・・組の同様の若夫婦が存在することか。
 確かに、東京下町、東京スカイツリーだけでない
勝鬨橋を覚え、聖歌733番4節を手を高く上げ、左右前後に振りながら讃美。
  よみがえりたる  主をあおぎなば
  あだをも死をも  など恐るべき
  かちどきあげて  きみにしたがわん

 毎週月曜午後2時、二人で門前仲町のため祈っています。下町バンザイの思いで。