コロサイ人への手紙−9回で大筋をーその3

<7回>
2011年12月25日
    聖望キリスト教会 主日礼拝

『クリスマス-主に喜ばれる人間関係へ-』
 コロサイ3章18−4章1節 
[1]序

(1)今朝は、2011年のクリスマス礼拝です。4回のアドベント主日礼拝ごとに、そして私たちの日々の歩みにおいて備えてきました。
 主イエスのご降誕・クリスマスの出来事は、聖書全体の記事とそれぞれ深く豊かに結ばれています。それで今朝の主日礼拝では、いつものようにコロサイ人への手紙を読み進めに当たり、クリスマスの出来事との関係を特に注意しながら味わいたいのです。

(2)コロサイ3章18−4章1節の特徴は、一目瞭然です。家庭、また社会における人間関係に的を絞っています。しかし注目すべきは、どの視点からそれを見ているかです。

[2]主に喜ばれる人間関係、コロサイ3章18節−4章1節  
(1)家庭における人間関係、3章18−21節
 ①妻と夫の関係、3章18、19節
 ②子どもたちと父たち、3章20、21節

(2)社会における人間関係、3章22節−4章1節
 最も困難な人間関係・奴隷たちと主人たちの間でも、「正義と公平」を求めるています。

[3]「主」を視点としている、コロサイ3章18節−4章1節
 コロサイ3章18節−4章1節において取り上げている人間関係すべては、「主」を視点に主に喜ばれる人間関係を提示している事実。
(1)事実の確認
①3章18節、「主にある者」 ②3章20節、「主に喜ばれる」
③3章22節、「主を恐れかしこみつつ」 ④3章23節、「主に対してするように」
⑤3章24節、「主から報いとして」 ⑥3章24節、「主キリストに仕えて」
⑦4章1節、「自分たちの主も天におられる」

(2)私たちの人間関係においても、「主」を中心とした視座の確立。私たちの生活・生涯における人間関係においても、同じく「主」を中心に見る態度・視座の確立が要(かなめ)。
 Ⅰヨハネ4章20,21節に見るように、初代教会の人々も、私たちも同じ課題、同じ問いに直面しています。
「神を愛すると言いながら兄弟を憎んでいるなら、その人は偽り者です。目に見える兄弟を愛していない者に、目に見えない神を愛することはできません。
神を愛する者は、兄弟をも愛すべきです。私たちはこの命令をキリストから受けています。」

[4]集中と展開
(1)集中
ヨハネ1章5節、「光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。」
やみの現実、マタイ2章13−15節、難民。マタイ2章16−18節、幼児殺戮。

(2)展開
 光りの光源を理解するために。クリスマスの場面から深い励ましを受けます。
「その星を見て、彼らはこの上もなく喜んだ。そしてその家に入って、母マリヤとともにおられる幼子を見」(マタイ2章11節)。
しかしそれだけでないのです。彼らは幼子の眼差しに意を注いだに違いありません。
キリストを見る人間中心の視座→キリストに見られるキリストを中心とした神の視座へ、
その時、「ひれ伏して拝んだ。そして、宝の箱をあけて、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげた。」(マタイ2章11節)礼拝の生活が始まり、豊かに展開するのです。
 
 この最初のクリスマスの礼拝は、静かに、確実に波紋のように広がり続けたのです。
初代教会の讃美歌を伝えると判断できる、Ⅰテモテ3章16節を味読します。
「 確かに偉大なのはこの敬虔の奥義です。
『キリストは肉において現れ、
 霊において義と宣言され、
 御使いたちに見られ、
 諸国民の間に宣べ伝えられ、
 世界中で信じられ、
 栄光のうちに上げられた。』」

 このキリストの輝きに照らされつつ、主に喜ばれる人間関係の実現の地味な営みを継続するのです。小さな教会としての家族を大切に、同時に血族に制約されない、主イエスご自身のことば(マルコ3章34、35節)に励まされ、そのことばに堅く立つ神の家族としての教会の交わり・聖徒の交わりを喜びつつ。

「そして、自分の回りにすわっている人たちを見回して言われた。『ご覧なさい。わたしの母、わたしの兄弟たちです。
神のみこころを行う人はだれでも、わたし(主イエス)の兄弟、姉妹、また母なのです。』」

<8回>
2012年1月8日
聖望キリスト教会 主日礼拝

『祈りと日々の生活』
 コロサイ4章2−6節 
[1]序
 主の御名を讃美します。
 2011年から2012年への越年を経験した今、一貫性を大切にしながら、同時に2011年から2012年への進展をもしっかり見据えて行きたいのです。
(1)継続性
 昨年までと同様に、今年もコロサイ人への手紙を1月と2月読み続けていきます。
新しい年となっても、昨年までのことを忘れたり、軽視や無視するのではない。どこまでも継続と一貫性が、やはり大切です。

(2)しかし同時に進展性も
 1月、2月に、コロサイ最後の章・4章を読み進める中で、4月以降についても見通しを持ち備えて行きます。小さくとも進展です。
旧約聖書の12小預言書の一冊・ヨナ書を取り上げ連続講解。お祈りください。

 今朝も、コロサイ4章2−6節を二つの切口・焦点から聴従・傾聴。 

[2]コロサイ教会の各自・「あなたがた」、4章2、5、6節
(1)祈り、4章2節
 ①「目をさまして」
 ②「感謝をもって」
 ③「たゆみなく」
パウロ自身の実践、「絶えずあなたがたのために祈り求めています」(1章9節)
継続的祈りと共に、断続的の大切さにも注意し実践したい。
いずれにしても祈りをやめるもっともらしい言い訳に身を任さない。
「言い訳せずに君に従う」と歌い、日々前進する恵み。

(2)祈りと結びつく「ふるまい」と「ことば」、4章5、6節
 ①「ふるまい」について、
イ.「外部の人に対して賢明にふるまい」、
ロ.「機会を十分に生かして用いなさい」
 ②「ことば」について命令と約束
イ.命令
「 あなたがたのことばが、いつも親切で、塩味のきいたものであるように」。
ロ.約束
「そうすれば、ひとりひとりに対する答え方がわかります」
キリスト者の生活・生涯において大切な指針の一つは、聖書が明示している
命令と約束の両方に意を注ぎ、生活・生涯を通して体得する営みです。

[3]パウロ(私)と彼の同労者たち(私たち)、4章3、4節
(1)「私たち」
 ①4章3節の文頭、「同時に」→1節の一般的なこと、2節の特定なことの両方を。
 ②「私たちがキリストの奥義を語れるように、祈ってください。」

(2)「神が」
 「神がみことばのために門を開いてくださ」るように、パウロはこの祈りを求めます。

(3)「私(パウロ)」
①「この・キリストの奥義のために、私は牢に入れられています。」
②「私がこの奥義を、当然語るべき語り方で、はっきり語れるように、祈ってください。」

[4]集中と展開
(1)集中
 注目すべき主語、徹底的に神中心。
「神がみことばのために門を開いてくださって」(3節)
同時に、「私たちのためにも、神がみことばのために門を開いてくださって、私たちがキリストの奥義を語れるように、祈ってください。」と人間・私たちの役割も明確。
実は真に私たちが生ける神を信じ仰ぐとき、人間の役割に目覚め、高慢と絶望から解き放たれます、感謝。

(2)展開
人間それぞれの役割も明確に。
①コロサイ教会・聖望キリスト教会の各自
②私(パウロ)、個・個人の確立、「この奥義のために、私は牢に入れられています。
だれが、猫に鈴をつけるか。イザヤ6章8節。
③私たち(同労者)、パウロは僕仲間・群れの一人として、黙示録22章8節。
④外部の人(コロサイ教会・聖望キリスト教会外の人々との関係)。

<9回>
2012年4月29日
聖望キリスト教会 主日礼拝

『コロサイ教会群像、アリスタルコの場合』
 コロサイ書4章7−18節 
[1]序

 御父、御子、御霊、生ける三位一体なる神の御名を讃美します。
(1)なぜ今回ヨナ書
新約聖書コロサイ人への手紙の後は、旧約聖書ヨナ書。
 ちなみに、ヨナ書の後は、新約聖書Ⅰペテロの手紙を予定しています。
旧約聖書の中でも比較的親しまれているヨナ書は、実は預言書としてよく特徴を示しています。ヨナ書をしっかり受け止めることを通して、大小の預言書の味読・身読に道が開かれるよう期待し祈り備えます。
 預言書としての特徴、毎月の宣教を通して浮き彫りにされ心に刻まれますように。

(2)どのような歩調で
ヨナ書4章の各章を2回づつ、4月から11月の第4主日礼拝でヨナ書に聴従、12月23日は、クリスマス伝道礼拝とも言うべき時を。執り成しの祈りをお願いいたします。

[2]コロサイ群像えき
 ここでコロサイ群像と呼ぶのは、直接コロサイ教会の会員・メンバ−ではなく、パウロ
の同労者で、コロサイ教会を背後にあって支えている人々です。この人々あってのコロサイ教会です。後に見るアリスタルコ以外に、以下の人物が登場します。
①「テキコ」(7節−9節)、パウロの様子を伝える大切な役割を委ねられています。
「私の様子については、主にあって愛する兄弟、忠実な奉仕者、同労のしもべであるテキコが、あなたがたに一部始終を知らせるでしょう。
私がテキコをあなたがたのもとに送るのは、あなたがたが私たちの様子を知り、彼によって心に励ましを受けるためにほかなりません。
また彼は、・・・このふたりが、こちらの様子をみな知らせてくれるでしょう。」
 パウロの教え同様、パウロの様子、つまり生活・生涯の提示。福音宣教において、教えと生き方、生活・生涯は切り離せないものとして伝えられ、受容されるのです。
②「オネシモ」(9節)、「あなたがたの仲間のひとりで、忠実な愛する兄弟オネシモといっしょに行きます。」参照ピレモンへの手紙。
③「バルナマのいとこであるマルコ」(10節)、「もし彼があなたがたのところに行ったなら、歓迎するようにという指示をあなたがたは受けています」、パウロの彼に対する配慮。
④「ユストと呼ばれるイエス」(11節)「割礼を受けた人では、この人たちだけが、神の国のために働く私の同労者です。また、彼らは私を激励する者となってくれました。」
⑤「あなたがたの仲間のひとりキリスト・イエスのしもべエパフラス」(12,13節)。この祈りの人について、「彼はいつも、あなたがたが完全な人となり、また神のすべてのみこころを十分に確信して立つことができるよう、あなたがたのために祈りに励んでいます。」(12節)と励ましに富むことばでパウロは紹介しています。
 しかもエパフラスの祈り労苦は、ただコロサイ教会に対してだけではないのです。
「またラオデキヤとヒエラポリスにいる人々のために、非常に苦労しています」(13節)。
⑥「愛する医者ルカ」(14節)。
⑦「デマス」(14節)。

[3]アリスタルコ
(1)コロサイ4章10節前半。
「私といっしょに囚人となっているアリスタルコが、あなたがたによろしくと」

(2)使徒の働きに見るアリスタルコ
使徒の働き19章29節
「そして、町中が大騒ぎになり、人々はパウロの同行者であるマケドニヤ人ガイオとアリスタルコを捕らえ、一団となって劇場へなだれ込んだ。」
使徒の働き20章4節
「プロの子であるベレヤ人ソパテロ、テサロニケ人アリスタルコとセクンド、デルベ人ガイオ、テモテ、アジヤ人テキコとトロピモは、パウロに同行していたが」
使徒の働き27章2節
「私たちは、アジヤの沿岸の各地に寄港して行くアドラミテオの船に乗り込んで出帆した。テサロニケのマケドニヤ人アリスタルコも同行した。」

[4]集中と展開
(1)集中、コロサイ教会とは、結局、一群の人々。では,聖望キリスト教会は。
「コロサイにいる聖徒たちで、キリストにある忠実な兄弟たちへ」(コロサイ1章1節)

(2)展開、コロサイ教会とラオデキヤ教会の交流、コロサイ4章15,16節。
「ラオデキヤの兄弟たちに、またヌンパとその家にある教会に、よろしく言ってください。この手紙があなたがたのところで読まれたなら、ラオデキヤ人の教会でも読まれるようにしてください。あなたがたのほうも、ラオデキヤから回って来る手紙を読んでください。」
 ここに見るのは、パウロの手紙に基づく地域を越えた、二教会間の交流。
私たちも、「聖なる公同の教会、聖徒の交わり」を信ずとの信仰告白の体現としての聖書に基づく教会間の交わり。9月の合同研修会での学び(「使徒信条再考」)の一つの課題。