コロサイ人への手紙−9回で大筋をーその2

<4回>
2011年9月25日
聖望キリスト教
主日礼拝


『神のことばを余すことなく』
 コロサイ1章24−2章7節 
[1]序

(1)主の御名を讃美します。
①今朝も、コロサイ人への手紙を読み進めます。6月に第1回、7月と8月を経て、今回は第4回、季節も初夏から盛夏、今や秋、今朝は1章から2章への移行です。

②今朝の箇所・コロサイ1章24−2章7節全体を視野に入れながら、二つの中心に焦点を絞り、溢れる恵みのメッセ−ジをしっかり受け止めたいのです。
 一つは、パウロが宣べ伝えている内容、「神のことばと奥義キリスト」。
第二は、この箇所で「あなたがた」と繰り返しパウロが強調しているコロサイ教会の現実。
そうです。この描写をメガネにして、聖望キリスト教会の現実を直視したいのです。

[2]神のことばと神の奥義キリスト 
 パウロが、コロサイ教会の前に展開している、神のことばと奥義キリストの関係・結びを、ヨハネヨハネ福音書で美しくしかもくっきりと描いています。
「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。・・・恵みとまことはイエス・キリストによって実現したからである」
(1)「神のことばを余すところなくつたえるため」(1章25節)
 一面一部でなく、両面全体。参照 使徒の働き20章27節「私は、神のご計画の全体を、余すところなくあなたがたに知らせておいたからです。」

(2)「この奥義とは、あなたがたの中におられるキリスト」(1章27節)
 ことば・教えを伝えることは絶対必要。すれだけでは十分でないのです。
生けるキリストご自身をパウロは宣べ伝えています。

[3]「あなたがた−コロサイ教会、そして聖望キリスト教会−」、
(1)「あなたがたのために」、1章24,25節
 コロサイ教会そして聖望キリスト教会の誕生と成長のために、神から委ねられた務めに従ってみことばを伝え、受ける苦しみを喜びとした人々の存在。
 それらの人々は、私たちがキリストにある成人として立つために、「自分のうちに力強く働くキリストの力によって、労苦しながら奮闘して」(1章29節)くださっています。

(2)「あなたがたの中におられるキリスト」、1章27節
 コロサイ教会、そして聖望キリスト教会の只中にいますキリスト!この驚くべき恵みの事実は聖書を通して、聖霊ご自身の導きにより私たちの心に確認されるのです。
①マタイ18章20節
「ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。」 
ヨハネ15章5節
「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。
ヨハネの黙示録1章13節
「それらの燭台の真ん中には、足までたれた衣を着て、胸に金の帯を締めた、人の子のような方(大祭司また王なるキリスト)が見えた。」

(3)「あなたがたは」→この驚くべき恵みに応答して、神の奥義キリストを真に知る生活・生涯、2章2節、6,7節。コロサイ教会も聖望キリスト教会も。
 キリストを真に知る(2章2節)とは、単なる知識や教えの課題ではなく、聖霊ご自身の導きによる私たちの心、存在、日々の生活と全生涯の現場における、キリストご自身との絆に基づく生き方・死に方そのものである事実を、パウロはこの箇所でことばを重ねて確言しています。
 そうです。この2章2節、6,7節こそ、私たち聖望キリスト教会に、そのまま与えれられている印・教会本来の印です。キリスト者各自の生活・生涯の印です。
「あなたがたは、このように主キリスト・イエスを受け入れたのですから、
彼・キリストにあって歩みなさい。
キリストの中に根ざし、また建てられ、
また、教えられたとおり信仰を堅くし、
あふれるばかり感謝しなさい。」(2章6,7節)。

[4]集中と展開
(1)集中
ヨハネ1章14節
 
(2)展開
コロサイ2章6,7節→1ペテロ4章13節


<5回>
2011年10月30日
聖望キリスト教会 主日礼拝

『キリストのうちにこそ』
 コロサイ2章8−23節 
[1]序

(1)10月最後の主日礼拝、コロサイ人への手紙講解説教も五回目、2章の最後までの箇所を取り上げます。全体で4章の手紙ですから、今朝はちょうど中間点。コロサイ教会が直面する問題を、「注意しなさい」(2章8節)とパウロは直接指摘します。

(2)コロサイ2章8−23節で、パウロは二つの中心主題を縄をより合わすように展開して行きます。
(A)注意すべき、むなしいだましごと
 すでに、2章4節にパウロはコロサイ教会に対する危惧、用心を明示しています。
(B)徹底的なキリスト中心・「キリストのうちにこそ」と強調、恵みの事実を明示。
 闇の存在が無視できない中で、キリストの光がますます輝きます。

[2]注意すべき、むなしいだましごと、2章8節、16節−18節、20−23節
  
 すでに2章4節において、パウロは、注意・警告を与えています。
「私がこう言うのは、だれもまことしやかな議論によって、あなたがたをあやまちに導くことのないためです。」→コロサイ教会における可能性、さらに現実に対決。

(1)2章8節、キリストに基づかないものに注意!
「あのむなしい、だましごとの哲学によってだれのとりこにもならぬよう、注意しなさい。それは人の言い伝えによるもの、この世の幼稚な教えによるものであって、キリストによるものではありません。」→キリストに基づものかどうか判断基準。

(2)2章16節−18節、本体キリストから目を離さす儀式習慣、教えなど一切に毅然と。
「こういうわけですから、食べ物と飲み物について、あるいは、祭りや新月安息日のことについて、だれにもあなたがたを批評させてはなりません。
これらは、次に来るものの影であって、本体はキリストにあるのです。
あなたがたは、ことさらに自己卑下をしようとしたり、御使い礼拝をしようとする者に、ほうびをだまし取られてはなりません。彼らは幻を見たことに安住して、肉の思いによっていたずらに誇り」、「批評」→前田訳、「裁く」。

(3)2章20−23節、何のききめもない人間の定めや戒めに縛られるな。
「もしあなたがたが、キリストとともに死んで、この世の幼稚な教えから離れたのなら、どうして、まだこの世の生き方をしているかのように、
『すがるな。味わうな。さわるな』というような定めに縛られるのですか。
そのようなものはすべて、用いれば滅びるものについてであって、人間の戒めと教えによるものです。そのようなものは、人間の好き勝手な礼拝とか、謙遜とか、または、肉体の苦行などのゆえに賢いもののように見えますが、肉のほしいままな欲望に対しては、何のききめもないのです。」

[3]徹底的にキリスト中心・キリストのうちにこそ 2章9節−15節、19節 
 聖霊ご自身の導きを受けつつ、聖書を全体としてまた細部にいたるまで傾聴(徹底的聖書信仰)。それは単に教えを学ぶことでなく、キリストご自身に正しく、深く、豊かに生活・生涯の只中で聴従。徹底的にキリスト信仰。
(1)2章9節−15節、ここでもキリストと教会の不可分の絆・きずな。
①2章9節、キリストご自身
「キリストのうちにこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っています。」

②2章10−15節
「あなたがた」、「私たち」→キリストにあってコロサイ教会、聖望キリスト教会 
イ。10節、「そしてあなたがたは、キリストにあって、満ち満ちているのです。キリストはすべての支配と権威のかしらです。」
ロ。11節、「あなたがたは・・・キリストの割礼を受けた」
ハ。12節.「あなた方は、・・・キリストともに葬られ・・・キリストとともによみがらされたのです」
ニ。13節.「あなたがたを、キリストとともに生かしてくださいました。」

[4]集中と展開
(1)集中
ヨハネ1章5節「光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。」
恵みの事実を確信、確信に基づく歩み。
ヘブル12章2節
「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。」
本物と偽物。その判別のためには、いつも本物・光り・主イエスご自身を見上げ続ける道。
質屋の修行のように。本物、本物。そして偽物を瞬時に、直感的に識別。

(2)展開
コロサイ教会を通して聖望キリスト教会を見れば、その一員としての自覚と日々、週ごと、月ごと具体的な営み、『キリストのうちにこそ』。


<6回>
2011年11月27日
聖望キリスト教会 主日礼拝

『新しい人は』
コロサイ3章1−17節 
[1]序
 
 主の御名を讃美いたします。
(1)コロサイ人への手紙前半1,2章を6月から10月まで5回にわたって味わって来ました。後半3章、4章を、今月と12月そして1月と3月の4主日礼拝で傾聴します。
 2月は、沖縄を去るときの約束で、まる1箇月沖縄宣教です。沖縄と本土の架け橋・絆の役割のため特別にお祈り頂ければ、嬉しいです。

(2)今朝の箇所3章1−17節全体は、二つの主題をめぐって展開しています。
①恵みの立場。それはコロサイ教会そして聖望キリスト教会に与えられている立場で、3章10節、「新しい人を着たのです。新しい人は、造り主のかたちに似せられてますます新しくされ、真の知識に至るのです。」
②恵みの立場への応答、二つの側面があります。
●してはいけないこと、3章5−8節
○なすべきこと、3章12−17節

[2]「新しい人は」 
 3章1節−4章6節で、キリストにある恵みと応答の生活(Ⅰコリント15章10節)について、「あなたがた(コロサイ)をあやまちに導く」(2章4節、参照8節)事態と背後の勢力を意識しつつ、パウロ雄大にまた細部に目を配りつつ描ききります。
 その中で、キリストにある恵みに焦点を絞る二箇所に注目。
(1)3章10、11節
①3章10節、「新しい人は、造り主のかたちに似せられてますます新しくされ、真の知識に至るのです。」
神の恵みを、「新しい人」とすべての罪の現実を乗り越える救いの希望に満ちた美しい表現でパウロは提示。参照エペソ4章24節
 コロサイ教会は、「むなしい、だましごとの哲学」(2章8節)にとりこにされてはならない。しかしキリスト信仰とキリストにある「真の知識」は堅く結ばれています。
②3章11節、単に個人としてだけでなく、共同体として。

(2)3章1−4節、この箇所は、午後の味読・身読会でより詳しく読み味わいます。
今朝は、3章1節に限り要点を確認します。
①徹底的にキリスト中心。
②キリストとの結びつきのゆえに、やがて主イエスの再臨の時、私たちも復活。
③キリストの再臨・将来→現在を見ている。あたかも私たちの復活が現実になったかのように。これに基づく現在の生き方の基調、○「上にあるものを求めなさい」

[3]恵みの立場への応答 
 神の恵みの確かさと豊かさをパウロは明らかにするだけでありません。
 恵みを無駄にしない(参照Ⅰコリント15章10節)ため、消極的応答と積極的応答をパウロは仔細に解き明かしていきます。
(1)してはいけないこと、消極的応答、5−9節
 5節、古い性質から出る五つの罪行為。
 不品行、汚れ、情欲、悪い欲、むさぼり。
 6節、神の審判にふれながら、5節で指摘した行為に対しパウロは警告を与えていきます。
8、9節、対人関係を中心とする6つの古い悪習を脱ぎ去り、捨て去ることを勧めます。

(2)なすべきこと、積極的応答、12−17節
12、13節、キリスト者の愛の七徳目。
14節、聖霊ご自身によりコロサイに教会に注がれている愛が、すべてを結ぶ帯、源泉。
そして「キリストの平和」(15節)、「キリストのことば」(16節)徹底的にキリスト中心。

[4]集中と展開
(1)集中「新しい人」、コロサイ1章8節、「御霊によるあなたがたの愛」
ロ−マ5章2−5節、「またキリストによって、いま私たちの立っているこの恵みに信仰によって導き入れられた私たちは、神の栄光を望んで大いに喜んでいます。
そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、
忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。
この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。

Ⅱコリント5章5節「私たちをこのことにかなう者としてくださった方は神です。神は、その保証として御霊を下さいました。」

(2)展開
聖書の人間観→聖書の世界観(味読・身読会で)
3章11節後半
「キリストがすべてであり、すべてのうちにおられるのです。」