『礼拝の生活』再考、その18

1970年10月4日
『礼拝の生活』17号

「ケイジバン」
 先週から、教会の入口に、大きな掲示板がデンと据えられています。縦90センチ、横180センチもある、立派な掲示板です。こんな大きなものが、この規模の教会に必要だろうかと言われても仕方ありません。
 しかし実際には、決して大き過ぎることはないのです。もうすでに掲示板全体に、種々な印刷物が貼られています。
 まず、日本新約教団の各教会から送られてくる週報や月報が貼られています。それらは各教会の歩みを知る上で、とても大切なものです。週報に目を通し各教会の様子を、さらに具体的に知りたいものです。その小さな営みを通して、各地の教会との生きた交わりが深められ、互いにまた日本新約教団全体として成長し続けたいのです。

 さらに各種の超教派の働きについての報告も貼られています。これらの報告をいつも注意することにより、ラジオ放送、海外宣教など私たちが教会として直接間接参与している働きについて、正しく知識を持つようにしたいものです。
 その外にも、教会の活動が推し進められていくため、教会会員全体がはっきり正しい知識を持つ必要がある事柄があります。そうした事柄が掲示板に貼られています。
 あまりにも大量な情報の中で、何を見、何を記憶していくべきかが重大な課題です。
 備えられた掲示板は、こうした現代の課題のシンボルとも云えます

★当時の教会予算規模としては、精一杯大きな掲示板でした。
 日本新約教団の交わりの充実のために、単に牧師間の情報の交換だけでなく、教会員の間で互いに対する関心が深まり理解が深められるために、週報の提示は、地味であっても一つの役割を果しました。

 あの時点で気付いていたように、増え続ける情報の中から何を選択し提示するかの課題は、その後40年大きくなる一方です。
 はっきりした的確な方針の確立と、状況に応じて柔軟な判断が求められています。
この場合も、私なりに助けとなっているのは、三点に意を注ぐ方法です。
①絶対に提示しなくてはならいもの。出来るだけ少数に絞って。
②絶対に提示してはいけないもの。その理由の明確な把握と共に。
③提示してもいいし、提示しなくてもいいものとして相対化。
 
 この方法は、40年間私にとり助けになりました。
情報の発信いついては、別の機会に。