恩師ニコール先生の言葉とテオピロ神学リンク

恩師ニコール先生の言葉とテオピロ神学リンク

★1年前の日々を覚え、書き残した以下の文章を確認しながら、来年1月21日80歳の誕生日を迎える80代へのそれなりの展望を、「恩師ニコール先生の言葉とテオピロ神学リンク」を視点に進めたいのです。


「[1] 序
今年も、アドベントの日々を迎えています。
この1 カ月近く、1977 年母校訪問を中心とした旅を、当時書いた手紙や受け取った手紙を手掛かりに思い巡らして来ました。母校のボストン近郊だけでなく、ハワイ、フィラデルフィアデトロイトトロント、アラスカと、寄り道もした(君代は、そんな遠距離の寄り道とあきれたのですが)それぞれの場所での出会い・経験を思い出し、現在に至るまでの影響を覚えます。

そうした中で、恩師ニコール先生のお宅に宿泊させて頂いた最初の晩に、
「タケオ、分かるか。神学生のために、神学校教師がいる。
神学校教師のために神学生がいるのではない。」
1966 年に私がゴードンを卒業後、二つの神学校が合同、新しい神学校が誕生の経過を経験なさった中からの言葉でした。

この言葉は、その後の私の歩みにおいて、マルコ2 章27,28 節に見る、主イエスの言葉に根差しながら、反復心の奥深く響き刻まれました。
例えば、沖縄聖書神学校校長時代の経験やテオピロ神学リンクの誕生と継続において特別に深く思い出しました。

[2] 恩師ニコール先生の言葉と沖縄聖書神学校の思い出
1986年、沖縄に移住した時、それまでの働きや活動のすべてのものを放棄したわけではありません。
しかしかなりのものを中断したのも事実です。
それまで継続していた、説教がより整えられ、説教の充実を目指す、自称「そば屋のてんぷら」としての実践的論文の執筆を断念。TCU の稲垣久和先生が命名してくださった、「手紙論文」(手紙の形式で継続的に書く、聖書、神学、信仰について書く文章)を書き送り続けました。

神学教育についても、キリスト教学園の専任ではなく、安藤仲一先生との約束に応答して、非常勤で集中講義の形で、沖縄から学園に出講しました。
それに加え、沖縄へ行くまでは念頭になかったのですが、沖縄聖書神学校で教えるようになったのです。世界一小さいと関係者が誇る、建物もなく、入学も毎年でなく各年の神学校で、初めはキリスト教学園でと同様、新約学や聖書解釈を担当、特に卒論担当に力を入れていました。

ところが、ほどなく組織神学全体を担当するようになったのです。この事実は、私にとって重要な意味を持っていました。
「教義学に興味を持つ自分にとって、ドストエフスキーは、キリスト教人間論を考える上で最適の指導者であった」と日本クリスチャン・カレッジの卒論の結び(宮村武夫著作『主よ、汝の十字架をわれ恥ずまじ ドストエフスキーの神学的一考察、他』111 頁)で書いているように、日本クリスチャン・カレッジの最終学年で決定的な出会いを与えられた渡邊公平先生の学恩をうけ、組織神学を専攻したい思いを抱いていたのです。
それが、新約学との関わりを中心とした期間の後、原点に戻った感でした。当然神学生のため、最善を尽くしたい思いを深め実践しました。

この新しい事態を報告するため、アメリカ・フロリダの恩師ニコール先生を訪問したところ、驚く程の深い喜びを表して下さり、いくつかの貴重な助言と共に、Wayne GrudenSystematic Theology An Introduction to Biblical Doctrine を贈呈くださいました。
いつもの様に、本の扉には、
To my beloved “son”
and colleague
Eph.4:15
Roger Nicole
4/4/98
とサインしてくださいました。
先生がプレゼントくださった、どの本にもサインがあり、愛のこもった使命の伝達として受け止めて来ました。

しかし、その時書き加えられた、and colleague・同僚との表現に、先生の喜びを覚えました。私にとって、最高の勲章です。
沖縄聖書神学校の校長に選ばれた時も、報告に行きました。やはりとても喜んでくださいました。先生が客員教授として教えておられた、オーランドの改革派神学校で会う人ごとに、
President Miyamura と少し誇らしげに紹介してくださるので、恥ずかしくなるほどでした。
この校長の期間、沖縄聖書神学校のために神学生があるのではなく、神学生各自のために沖縄聖書神学校は存在するとニコール先生から学んだ確信を実践した忘れがたい期間でした。

[3] 恩師ニコール先生の言葉とテオピロ神学リンク
沖縄滞在の最後は、神学校教育から離れたのです。2011 年5 月、25 年振りに関東に戻ってからも、願い期待していた神学校教育の場・機会は開かれませんでした。
 そうした現状の中で、負けず嫌いの私は、神学校教育からは、身を引いているけれど、神学教育から身を引いた覚えはない。そう考え、発言していました。

 その実践の中核は、以下のテオピロ神学リンクです。
テオピロ神学リンクについて、幾つか報告します。
(1) 神学とは
 テオピロ神学の根底には、神学とは何かをめぐり素朴であっても、揺るぎのない確信があります。
そうです、神学とは、聖書をメガネとして神の被造物を見、創造者の視点から解釈・理解する本来の人間の開かれた行為、私らしい私の豊かな営みだとの確信です。
 例えば、沖縄の伊江島中高生キャンプで直面した台風の受け止め方から、台風の神学への一歩があります。聖書をメガネにして台風について考察する、これが台風の神学です。
1986年、沖縄に移住した時、それまでの働きや活動のすべてのものを放棄したわけではありません。しかしかなりのものを中断したのも事実です。
 25 年の沖縄での生活・生涯の課題、「沖縄で聖書を、聖書で沖縄」をから必然的に導かれた道です。

(2) 神学における個人・人格
 ルカがテオピロ一人のため、ルカ福音書(ルカ1 章3 節)をさらに使徒の働き(使徒の働き1 章1 節)を記述した事実―私は素朴にそのように受け止めています―を覚えいつも感動しています。
一人のためなら、まさに「エーンャコラ」です。目前の一人に全力を注ぐ、これこそ神学、特に神学教育において必要不可欠な精神と実践と判断します。そもそも神学は、生ける三位一体なるお方に基盤を持ち、そのお方との人格的関係が源泉なのですから。

(3)テオピロ神学素案
 1969 年から、三つの神学校で神学教育に従事する恵みを与えられて来ました。
 しかし2006 年夏に神学校から離れ、思わぬ経緯で神学校教育から退いたのです。確かにそうであっても、なお依然として神学教育を生き生きと実践していると日々を実感し続けました。
 2011 年5 月に、千葉の市川に移住後、千葉商科大学佐藤哲彰兄と続けた対話・交わりで、一対一の神学教育の豊かさを確信。

 さらに距離の隔たりを越えて、メールや携帯を活用、何よりも祈りの交わりの中でのテオピロ神学です。はじめは小さく一歩を。

(4) 名称
名称は、テオピロ神学を営むことからテオピロ神学校、さらに規模や性格からテオピロ神学塾が考えられます。
 しかし特定の建物など一切なく、距離の隔たりを越えた一対一の結び付きが基盤である事実から、テオピロ神学リンクを選びました。リンクという言葉は、今日かなり一般的に用いられており、理解を得やすいのではないかと考えます。
 また私が協力宣教師である名護チャペルでは、チャイルド・リンクやカフェ・リンクなどの名称を活用しています。

(5) 期間、方法、入学生
期間は1年。
方法、学生が選択した一つの課題を、1年間聖書で対話を重ねる営みを継続。
入学生には、大学で経済学を担当する男性、大学で物理を担当する女性、中学で英語を担当する男性、西多摩の市会議員女性、私が教えるのを止めた後東京基督教大学卒の男性牧師などがありました。

★言われるまでもなく、私の言動が、ドンキホーテー的であることを認めます」

☆母校開成での聖書研究会での歩み、日本クリスチャンカレッジ以来受けてきた神学教育、また埼玉寄居で開始した説教・宣教と牧会、1969年4月以来の神学教育の実践。
 こうした歩むみのすべてが備えとない、2014年4月クリスチャントゥデイの働きに導かれたと自覚しています。
 そして2019年1月21年を、小さな節目として、クリスチャントゥデイそのものと同時に、個人のブログによりより集中することにより、側面からクリスチャントゥデイの働きに協力したいと見通しています。