詩編119篇の味わい、その1

詩編119篇の味わい、その1

詩篇119篇64節 
『主よ。地はあなたの恵みに満ち』

2013年5月18日 日本同盟教団安中聖書教会

〔1〕 序 
(1)今回の恵みの機会感謝

(2)神の恵み:からだ
聖書をメガネとして見・確認する神の恵みとしてのからだ
 詩篇139篇13,14節→人間・私に対して、創造者なるお方は「奇しいことをなさって」下さったとの自己認識。そうです、私たち各自が、ヘルン・ケラーと同じく「奇跡の人」。
 今朝、119篇64節に集中

〔2〕「主よ」、呼びかけ、主なる神の御名を呼ぶ。
(1) 神を「主よ」と呼ぶ神の「民」としての立場、位置。
 神の恵み、「わたしはあなたの神」
      「あなたはわたしの民」
       呼べば、応じる、呼応関係、契約関係。
       本来人間・アダムは、神の呼び掛けられ、応答する者、
 創世記3章9節「神である【主】は、人に呼びかけ、彼に仰せられた。『あなたはどこにいるのか。』」、これこそ本来の人間、本来の私の姿。

(2)さらに神を「父よ」と呼ぶ、「神の子」としての立場。
 ローマ8章15節の前半と後半
 前半「あなたかたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく」
    鋭い対比
 後半「子としてくださる御霊を受けたのです。
 私たちは御霊によって、『アバ、父。』と呼びます、聖霊ご自身の恵みの中核。
 そのためには、私たちは無代価。しかし主イエスご自身にとっては、尊い代価を払う、Ⅰコリント6:20。
 そうです、主の祈りを祈れる恵み、「天にまします我等の父よ」

〔3〕「地はあなたの恵みに満ち」
 「地」の理解、ルターは、「地」は、まず「私」と。
  聖書は、私たちが、神の恵みを、まさにあるものをあるごとくに見認識するため助けとなる、めがね・眼鏡、64節後半。
 この事実を明示する大切な、三つの聖書の箇所
①創世記1章1節
 「初めに。神が天と地を創造した」

②黙示録4章11節
「あなたは万物を創造し、
 あなたのみこころゆえに、 
 万物は存在し、
 また創造されたのですから」

③Ⅰコリント15章10節
「ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対する神の恵みは、むだにはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。しかし、それは私ではなく、私にある神の恵みです」
 鍵は、恵みをむだにしない。対比、多く働く。さらにそのこと自体がが恵み、二重の恵み。

[4]集中と展開
(1)集中、新しい、真の念仏の提唱。
 朝起きたなら、「主よ。地はあなたの恵みに満ちています」
 出来れば、日に三度。「主よ。地はあなたの恵みに満ちています。」
同時に64節の後半から、決して離れない。「あなたのおきてを私に教えてください」

(2)展開、恵みをむだにしない Ⅰコリント10章31節
「こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現すためにしなさい。」
 聖霊・御霊の実を結ぶ。
 樹木のごとく、与えられた場所に留まる、忍耐と希望(ローマ章5節)。
 知、情、意(志)を通して心に、
 心に注がれた聖霊の恵みの実が、今度は知、情、意(志)を通して、私たちの生活・生涯に実を結ばせてくださる。死に至るまで忠実に(黙示録2章10節)。
 息を引き取るときも。「主よ。地はあなたの恵みに満ちています」と信仰の告白。