ピレモン21ー25節 『アリスタルコ,よろしくに生きる人』

パウロの手紙・ピレモンへの手紙 1章短さ・短編の魅力 
その4  ピレモン21ー25節 『アリスタルコ,よろしくに生きる人』

ピレモン21ー25節 『アリスタルコ,よろしくに生きる人』

[1]序
(1)今回は,ピレモンへの手紙を味わい3回目として,手紙の最後の部分,21ー25節の箇所を,「アリスタルコ,よろしくに生きる人」との主題で.見たいのです.
この箇所には,パウロの同労者が幾人か登場して来ます.それらの人々の中で,あまり有名ではありませんが,興味ふかい人物アリスタルコに焦点を合わせて行きます.

(2)ピレモンへの手紙21節以下は,手紙の最後,挨拶の部分です.21,22節には,手紙の受信人ピレモンが正しいことをなすとパウロ確信,信頼を述べ,自らの訪問を予告しています.そしてパウロのため,ピレモンと家の教会の人々の祈りに言及しています.23,24節終わりの挨拶を送り人々のリスト.25節は祝祷です.
 この流れの中で,24節に焦点を絞ります.「マルコ,アリスタルコ,デマス.ルカ」とパウロは,一人一人4名の名前をあげ,いずれもパウロの「同労者」.であることを強調し,彼らがそれぞれ「よろしくと言っています」と取り次ぎます

[2]アリスタルコ」
 新約聖書が描くアリスタルコ,彼は決して有名な実物ではありません.しかしその姿は,私たちの注意を引き付けます.
 彼は,テサロニケ出身のマゲドニヤ人(使徒20章4節).エペソの人々がアルテミスの神殿で暴動を起こした際,『人々はパウロの同行者であるマゲドニヤ人ガイオとアリスタルコを捕え』(使徒19章29節)たのです. 
後に,テサロニケ教会の代表者として,他の教会の代表者たちと共にパウロに同行,エルサレムに向かいます(使徒20章4節).
 パウロが囚人としてローマに向かい出帆するとき,その囚人であるパウロアリスタルコが同行したことをルカは特に記しています(使徒27章2節).彼の人となりがよく現れている場面です.
 パウロがコロサイ人への手紙を書いているとき,ローマでパウロと(いっしょに)囚人として滞在しているのです.
 このように聖書の記述を通しえ見る,アリスタルコの姿は,常にパウロと同行し,苦しみに満ちる場から逃げず,踏み止どまる者の姿です.そうです.「最後まで」,これがアリスタルコの生活・生涯を表す鍵のことばです.「死に至るまで忠実でありなさい」(黙示録2章10節).との呼びかけに応答しているのです.
最後まで忠実な者が最後まで成長する者です. 

[3]二つのこと
 他の3人についても同じですが,アリスタルコについて,パウロは二つのことを記しています.
(1)「私の同労者たち」
 パウロは,手紙の最初で,ピレモンについて,「同労者」(1節)と呼んでいました.今手紙の最後で,パウロの周囲に,福音宣教の働きの共同の働き人が幾人もいることを明示,彼らからの挨拶を取り次ぎます.
同労者たちとパウロ接触から,パウロの獄中の生活は,比較的自由が保たれ,いわば軟禁状態とでも呼ぶべき側面があったとも考えられます.参照使徒28章16節以下.

 「同労者」,「同じしもべ・しもべ仲間」(黙示録22章9節)
キリスト者・教会の間の交わりの本質を示す大切な二つのことば,その両方が,この短い手紙で用いられています.

◆「兄弟」,父なる神の愛に基づき,聖霊ご自身の助けにより,主イエスの父なる神を「アバ,父」(ローマ8章15節,参照ガラテヤ4章6節)と呼ぶ恵みにあずかった者同士.主イエスにあって,「兄弟」.パウロ,ピレモン,そしてオネシモの間に,「愛する兄弟」(16節).
そして今,ここで私たちの間においても,そこに存在していることが,主にあって尊い各自としての交わり.

◆「同労者」,「同じしもべ・しもべ仲間」.主なる神の使命に基づき,各自がそれぞれに使命を与えられており,その使命を果たし続ける,深い絆(きずな)に結ばれてた交わり.パウロ,ピレモン,そしてオネシモも,同じ主イエスの使命をそれぞれに果たし続けて行く,「同労者」,「同じしもべ・しもべ仲間」.
 そして今,ここで私たちの間においても.コリント教会に対してパウロが勧告しているように(参照Ⅰコリント12章12節以下),「どうせ私なんか」(15,16節),「どうせあんたなんか」(21節)根性からの解放.

(2)「よろしくと言っています」
 聖書で用いられている,「よろしく」の意味について理解を深めたいと願うとき,ローマ16章における用例が助けになります.
 ローマ16章3節から16節の箇所で,「よろしく」との挨拶のことばは,15回も繰り返えされています.
 パウロが挨拶を送っている人々の名前やその人々について描かれている言葉を通して,パウロの周囲には,豊かな人間関係が展開されていた事実を教えられます.その特徴として,以下の点があげられます.
  ユダヤ人,異邦人の差別なく,多様な人々が,主イエスにある交わ  りに加えられています.
  奴隷など社会的境遇の壁を乗り越えた,主にある交わり.
  主にある兄弟愛に満たされ,それぞれの持ち場・立場において労苦  を積み重ねての歩み.戦いつつ前進する教会の姿を見ます.
  家庭を通して福音宣教と教会形成.

[4]結び
 どうでしょうか.私たちひとりびとりが,聖望キリスト教会にあって,私らしいアリスタルコと生きるように導かれたいるのではないでしょうか.今生かされている場に,主によって導かれたと確信して,そこに止まり,分をわきまえ,分を果たす.果たし続ける.主の身元へ召されるまで.

「主よ,おわりまで 仕えまつらん」(讚美歌338番)