パウロの手紙・ピレモンへの手紙 1章短さ・短編の魅力  その2 ピレモン1ー7節 『生きて働く信仰の交わり』

パウロの手紙・ピレモンへの手紙 1章短さ・短編の魅力 
その2 ピレモン1ー7節 『生きて働く信仰の交わり』

ピレモン1ー7節 『生きて働く信仰の交わり』
[1]序
(1)今回を含めて3回にわたり,パウロの手紙の中でも,一番短いピレモンへの手紙を味わいたいのです.主なる神の導きを求めつつ,次回には,ピレモン8ー20節,さらに3回目には,ピレモン21ー25節を味わいたく願っています.

(2)今回は,まず1,2節.そして6節に焦点を絞って味わいのです.

[1]ピレモンへの手紙
(1)発信人,「キリスト・イエスの囚人であるパウロ,および兄弟テモテから」
 「キリスト・イエスの囚人であるパウロ
 「および兄弟テモテから」

(2)受信人,「私たちの愛する同労者ピレモンへ,また姉妹アピヤ,私たちの戦友アルキボ、ならびにその家にある教会」
 「私たちの愛する同労者ピレモンへ」
 「また姉妹アピアへ」
 「私たちの戦友アルキボ」
 「ならびにあなたの家にある教会」
 福音が家族へ広がり行く様を,新約聖書は明示.カイザリヤのコルネリオ(使徒11章14節),ピリピのルデヤ(使徒16章15節),看守(使徒16章31,34節),コリントのステパナ( コリント1章16節).エペソのアクラとプリスカ( コリント16章19節)など.
 
[2]生きて働く信仰の交わり,6節
(1)「私たちの間でキリストのためになされているすべてのよい行ないをよく知ることによって」
 「私たちの間でキリストのためになされている」
 「キリストのために」は,信仰の交わりがどこへ向けて成長するのか,目的・目標を示します.信仰の交わりは,主イエスの再び来るとき,完全に現され,また認められる栄光を目標としています.ついにキリストにまで至ること望みつつ,パウロは祈ります.
 「聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ,キリストのからだを建て上げるためであり,ついに,私たちがみな,信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し,完全におとなとなって,キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです」(エペソ4章12,13節).
 主イエスとの交わりは,それぞれの持ち場,立場における実際の生活の場で接する人々に対する愛へとキリスト者・教会を導く.その愛の実践は,すべての善きこと,つまり主なる神のみこころは何かを的確に判断する土台の上に据えられて行きます.

 「すべての良い行ない」
 主なる神が信ずる人々の上に注ぎくださる,善きことを真に知る,認識に従った生活する.この良いこと,良い行ないについて理解するため,パウロの手紙の次の二つの箇所,ローマ12章2節とガラテヤ6章10節が助けを与えてくれます.

◆ローマ12章3節,「この世と調子を合わせてはいけません.むしろ,神のみこころは何か,すなわち,何が良いことで.神に受け入れられ,完全であるかをわきまえ知るために,心の一新によって自分を変えるなさい.」
良いこと,それは,神のみこころ,ご意志そのもの.良いか,悪いかの基準は,この世,つまり私たち人間にはないのです.ですから主イエスとの人格的な交わりが深まるにつれて,善悪を弁別する識別力もまして行くのです.ピレモンは,この事実をはっきりと悟り,主イエスにあって,真理の御霊に心を導かれつつ,日常生活のただなかで正しい判断なしていたのです.参照コロサイ1章9節.

◆ガラテヤ6章10節,「ですから,私たちは,機会のあるたびに,すべての人に対して,特に信仰の家族の人たちに善を行ないましょう」
 良いこと.それは知るだけでは十分ではないのです.実践する必要があります.実際に行なうことにより,本当に知ることになります.ピレモンは,機会を逃さなかったのです.まず,彼の家で集う,コロサイ教会の人々,そうです,「信仰の家族」の間で,良い行ないを実践したのです.そこで主イエスにある訓練を受け,社会のあらゆる分野で,積極的に,様々な(「すべての」)良い行ないを実践した,つまり,「すべての良い行ないをよく知」ったのです.すべてのことがそうであるように,良い行ないについても,家庭と教会は,苗床として,大切な大切な場であることをピレモンの実例は私たちに教えてくれています.
 良い行ないの勧め,さらにロマ15章2節, テラロニケ5章15節参照
 良い行ないの基準は,主なる神のみこころ,ご意志.私たちが聖霊の導きにより,何が神のみこころに適った良いことであるか判断力・識別力を与えられながら,良い行ないを,まず家庭や教会で実践し,社会生活の現場でなして行く.この恵みの事実を,パウロは主なる神を中心にして,以下のように明確に教えています.
 「あなたがたのうちに良い働きを始められた方は,キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださることを私は堅く信じているのです.」(ピリピ1章6節).参照ロマ8章28節.

 「よく知ることによって」
 ここでは,単に知るではなく,「よく知る」と強調を含む単語をパウロは用いています.この点をめぐるパウロの祈り,参照ピリピ1章9節.

(3)「あなの信仰の交わりが生きて働くものとなりますように」
 「あなたの信仰の交わり」
「交わり」と訳している単語は,ピリピ1章5節では,「福音を広めることにあずか」とあるように,「あずかる」,参与の意味があります.主イエスにある救いの御業へ参与させられ,ぶどうの木とぶどうの枝(ヨハネ15章5節)のように真の交わりを与えられているのです.
信仰の交わりは,単なる仲良しクラブではない.キリスト信仰を分かち合い,キリストにある救いのご計画に参与させていただき,絶えず成長し,実を結ばせていただく交わりです.信仰の戦いを戦う「戦友」(2節)の交わりです.

 「生きて働くものとなりますように」
 パウロはピレモンに手紙を書くだけでなく,彼のため祈ります.祈るだけでなく,手紙を書くのです.ピレモンへの手紙は,この手紙と祈りの密接な,一体となっている関係をよく示しています.その中で,ピレモンが信仰生活において,絶えず進歩し,成長するように,ひとあし,ひとあしの歩みのため,パウロは祈っているのです.参照ピリピ1章8ー11節. 

[4]私たちの礼拝の頂点・クライマッコスである,頌栄,祝祷の意味を改めて確認したいのです.
 父,御子,御霊なる三位一体なる神をほめ歌う,頌栄.これこそ,私たちの礼拝の最高潮です.礼拝の中心です.
 その中で,私たちは,「主イエス・キリストの恵み,神の愛,聖霊の交わりが,あなたがたすべてとともにありますように」( コリント13章13節)に基づく,祝祷をもって礼拝を閉じるのです.三位一体なる神と,主イエス・キリストの恵み,父なる神の愛,そして聖霊の交わりにより堅く結ばれた礼拝の民,私たち.
 そして今朝,「聖霊の交わり」に入れられているからこそ,「信仰の交わり」が「生きて働き」,「強められ」,「力を発揮し」,「活発になる」のです.キリスト信仰の歩みは,そのはじめから,完成へいたるまで,その途上のすべてが,徹底的に聖霊ご自身の導きによるのです.まさに,「聖霊の交わり」.心をこめて祈り,讃美しましょう.そしてそれぞれの持ち場,立場で,週日の日々も礼拝の民として生かされるのです.