偽りの時代の「偽り」の罪の大きさ!〜ざん言の罪深さ!

偽りの時代の「偽り」の罪の大きさ!〜ざん言の罪深さ!

★北海道の心の友の引用文を味読・身読・
Kazuhiro Komido

6月20日 ·
偽りの時代の「偽り」の罪の大きさ!〜ざん言の罪深さ!

財務省の公文書改ざん問題に始まり「記憶も記録もありません」の言葉が堂々とまかり通っている恐るべき時代。偽りを真実とし真実を偽りとする末期的症状にため息が出る。旭川の雑貨店の普通の主婦・三浦綾子さんが朝日新聞1千万懸賞小説で見事当選(応募731点から)したとき、ある実話週刊誌で、とんでもないデマが写真入りで書き立てられた。「氷点」は、実際は、三浦綾子の作ではなく実の作者は、小山いと子松本清張あたりであろうと、まことしやかに名前があげられ、いかにも困り切ったような三浦さんの写真も巧みに掲載された。この実話週刊誌から三浦さんは直接インタビューはおろか電話取材すら受けなかった。そのデマ記事を読むと、一般の読者であるなら全面的に信じたかも知れないほど巧妙に書かれていたという。

 自分が「氷点」を書いたのに、偽りだとデマを書きたてられた三浦ご夫妻は、大いに心傷つけられたに違いない。昔も今も個人や団体に致命的打撃を与え、滅ぼそうとするざん言、デマ、悪い噂は、現代社会でも横行しているのではないか。どれが真実で偽りかが不透明で、お互いの人間関係を破壊するざん言やデマは恐るべき深刻な罪だ。神が最も嫌われる!
「人が人を斥けるのに、ざん言を用いるという陰湿な発想は、どうやら今の時代にも生きているようだ。即ちデマである。…人間という者は、ざん言やデマには、まことに他愛なくだまされるものらしい。信長、秀吉、家康などの、日本史の上でも、最も大きな存在である人物ですら、易々とざん言を信じて、事を誤っている。ましてや現代の、洪水のような情報社会においては、私たちは実に愚かしいほど、単純にこのデマに毒されてしまうのである」(三浦綾子著「私にとって書くということ」より)