一度に全てでなくー「クリスチャントゥデイ」の公式ブログにおける、 編集会議議事録報告ー

一度に全てでなくー「クリスチャントゥデイ」の公式ブログにおける、
編集会議議事録報告ー

 キリスト教ニュースサイト「クリスチャントゥデイ」の公式ブログを紹介します。そこでは、記事では書けなかった取材でのエピソードや会社からのお知らせが随時なされます。
 確かに、少数精鋭。つまりどんなに精鋭とは言え、少数です。3名のスタッフが、主に志で固く結ばれ、同じく志で結ばれる、コラムニストや寄稿者に支えられ営みを継続しています。
 この実情の中で 公式ブログに、念願であった編集会議の内容要約をお伝えできるように鳴りました。クリスチャントゥデイとは何かを真に問う心ある方々に、参考になることを願い、なると確信しています。
 聖書の成立自体がそうであるように(ヘブル1:1,2)、主なるお方の導きによる営みは、「一度に全てでなく「」です。
 お問い合わせやご意見は、メール(info@christiantoday.co.jp)まで。

★第91回編集会議(2018年5月11日)
開催日時:2018年5月11日(金)
開催場所:岩本町事務所

(1)宮村メッセージ(出エジプト20:16)要約
 恵みをどのように悪用すると聖書は言っているか。事実判断はできるだけ正確にしていく。例としては、今回K新聞が出した記事。見ている人にはその内容があたかも事実のように映っていく。これは偽証。「クリスチャントゥデイ元編集長」はうそではない。しかし、何が書いてあるかだけでなく、なぜ、いかに書いてあるかを見る。「元編集長」となぜ書いているか。自分を何者かのごとくに見せている。しかし、彼が編集長をしたのは1年間。特に、彼が12月から1月の倒れる直前までに見せた、聖書以外のものを恐れる態度。編集長として絶対に取ってはいけない態度だった。彼が2月以降も残るなら、私が辞めようと思っていた。

 こだわるのは、彼が2月に出した従業員声明。「内部告発」という言葉は使うが、実質は違う。なるべく名前を出さずに被害を最小限に抑えようとするのが内部告発だが、名前をずらずらと並べている。ある人は、「内部告発」との言葉の一般的な印象があるから、検証もしないでそのまま受け止めてしまう。

(2)前回議事録確認
(3)アクセス報告
(4)取材スケジュール確認
(5)寄稿者候補

★第92回編集会議(2018年5月25日)
開催日時:2018年5月25日(金)
開催場所:岩本町事務所

(1)宮村メッセージ(詩篇121:4)要約
 「見よ」と出てきたら注意。「イスラエルを見守る方」とは、明らかに人格を表す。「お方」なのだ。単なる知識の量的な多い少ないでなく、出会いの問題。
 そのお方が私たちに呼び掛けられ、私たちが応答していく。あなたを見守る方は、まどろむこともなく、眠ることもない。否定形が聖書に用いられるのは、非常に重要なことを言っているとき。あるという事実、もしくはその可能性がある。すでに眠ってしまっている古代オリエント世界の神々は眠る神であって、それとは全然違う。神ご自身は、まどろむことがなく、眠ることがない。
 逆に人間は、どんなことがあっても寝なくてはいけない。寝る人間と、まどろむことなく眠ることのない神。神と人間との違いを聖書は語っている。イエス様が人間になると眠られる。船の上でも。

 アブラハムは、もとは偶像礼拝者。偶像礼拝者の中から呼び出され、祝福されたアブラハムは、他者の祝福のために用いられる。「イスラエルを見守る方」、これをなぜ私たちが読むか。また、どう読むか。「クリスチャントゥデイを見守る方は」と読まなければ、聖書を書いた目的にかなわない.。現実のイスラエルを言っているのか。最初にアブラハムを召し出したときを考えると、神はアブラハムを世界の祝福のために用いる。クリスチャントゥデイがどれだけアクセスを伸ばすのか自体が問題ではない。主を知らない人にどれだけ主を知らしめるか、その目的に立つとき、私たちを見守る方がおられる。クリスチャントゥデイを見守る方は、まどろむことなく、眠ることがない。私たちを黙らせようとするなら、石が叫び出す。そういうお方に守られているから、どんなことをしても無駄にはならない。人の祝福のために。それこそイスラエルクリスチャントゥデイについてもまさしくそのまま適用できる。

 日本の新聞ジャーナリストたちが受け継いできた倫理、それをどのように考えるか。私の見るところ、それと真っ向から対立するキリスト教メディアの現状がある。そういった事実判断をしながら、なおこの告白、「イスラエルを見守る方は」。ジャーナリストとしての内村を継承するか。「聖書をメガネに」とは単純に見えるが、守備範囲は広い。

(2)前回議事録確認
(3)取材スケジュール確認
(4)寄稿者・コラムニスト候補

★第93回編集会議(2018年6月8日)
開催日時:2018年6月8日(金)
開催場所:岩本町事務所

(1)宮村師メッセージ(1コリント9:23)
 10代の最後、語り掛けてくださった万代恒雄牧師の言葉、「宮村君、イエス様のためなら、悪いこと以外何でもしような」。
 悪いことでも教会のためならばしてもいいと錯覚する落とし穴がある。はっきり注意したいのは「悪いこと以外」。悪いことと良いことがある。絶対してはいけない、絶対しなくちゃいけない基準がある。それをどのように実践していくか。
 24節。聖書をメガネに見たときに、すべてのものが明らかになってくる。この徹底した「何でもしよう」という献身の思いの必要性と、一方でそのブレーキとしての善悪の基準。何でもしていいのではない、「悪いこと以外」。キリストのために何でもするという志と献身、同時に修練。競技者のように修練をする思いで学び営みを続ける。本当の意味で学ぶ、訓練する、自己管理する。私たちは、そういう人を抱え込むのでなく、リンクを張っていく。人事で縛らない。しかし、志を基に堅くつながる。6月から8月、とても大切な時期を迎えている。目に見えるかたちでクリスチャントゥデイの内容の質が変わってくることを、7月、8月の歩みの中で経験していきたい。パウロは私たちとまったく同じ課題にぶつかっていた。

(2)前回議事録確認
(3)アクセス報告
(4)取材スケジュール確認
(5)寄稿者・コラムニスト候補


★2018年6月21日木曜日
宮崎賢太郎先生の著書にクリスチャントゥデイが!

 先日、青木保憲先生が書評を書いてくださった宮崎賢太郎先生の新作『潜伏キリシタンは何を信じていたのか』に、クリスチャントゥデイの記事が「参考文献」として掲載されていました。
 こうして記事が用いられるのは、うれしいことです。宮崎先生が参考にされたのは、下記の2つの記事です。

1つは、東京基督教大学の世界宣教講座で行われたトマス・ヘイスティングス博士の講演についての記事。
“西洋的・知的”なキリスト教から“日本”のキリスト教へ 日本におけるキリスト教宣教の分析と3つの提案(1)

もう1つは、CJC通信提供の下記の記事でした。
キリスト教は今やアフリカの宗教に
よろしければ、宮崎先生の著書と一緒にクリスチャントゥデイの記事もぜひお読みください!