忍耐と希望(ローマ8:25)の原点への旅 その3、ー8月21日(水)から8月25日(日)ー

忍耐と希望(ローマ8:25)の原点への旅 その3、ー8月21日(水)から8月25日(日)ー

1963年8月12日、ニューイングランドのGordon Divinity School・ゴードン神学院へ向け横浜を出航しました。
 2週間の船旅とニューイングランドに到着直後、ゴードンでの生活の日々の一口日記メモを、ちいろば聖書集会の矢倉(鮫島)光子姉が打ち出してくださいました。
 2018年6月下旬の日々、今、クリスチャントゥデイを中心に与えられている忍耐と希望(ローマ8:25)の旅をなお一歩深め、一段と進展する歩みに整えられるため、若き日の忍耐と希望(ローマ8:25)の原点への旅、その一口日記がそれなりに用いられるよう願う。

★8月21日(水)
 午前中は調子が悪く何もしたくない。Philip Leeとは意識的に話さないようになっている。我ながら自分の心の狭さがいやになる。
 午後になってから、一人の中国人と囲碁をする。Ruleを知っている程度であるが、非常に興味を持つ。佐藤君がLeeと親しくしようとするのが、小細工のような気がしてならない。こうした小さな事にこだわるようではだめだ。ガンバレ、自己との戦い、それはこんな時こそ必要なのだ。森有正著を読む。もう一度読みなおす必要あり。

★8月22日(木)
 早朝、使徒行伝を読む。ペテロ、ヨハネ、ステパノのなどの生き生きとした姿を想像する。
 洗濯をする。こんな小さな事に忠実になれるように努めねばと思う。心の不安定さといったものは、どうした事であろうか?アイロンをかけ、荷造りをする。佐藤君の言葉に腹を立てる。彼は何も悪げがあって云うのでないとは知りつつ、あまりにも自分勝手な話し方、態度にカッとする。しかし、これに勝利しなければ、留学の意味はなくなる。
 囲碁のおもしろさがわかってくる。
 集会では、宣教師のトンガソンがアッセンブリー調で話す。何か別の世界の出来事のような気がする。とにかく、現在の自分と過去の自分とが現象的にはあまりに大きく変化している。この点について考え続けねばならぬ。逃避せんとする態度をやるよう。

★8月23日(金)
 荷造りを終り、明日の上陸を待つばかり。教育大を卒業して、加州にある大学の大学院で学ぶ予定の方と話す。彼等の学びの深さを尊敬すると共に、新たにファイトをわかす。
 最後の集会として、賛美の時を持つ。非常に恵まれた交わりだった。赤シャツ陳くん。Alexsander Lee、 Golden Chen 等との交わりを続けたいと思う。NameやAddressを数めている人々の中にあって、自分の心の中に不純なもののあるのに気づく。夜、アメリカ上陸を前にして非常な感謝の時を持つ。今後アメリカ滞在中、この経験を忘れぬこと。

★8月24日(土)アメリカ本土上陸
 朝4時過ぎに起きて、上陸の準備をしていると、ハワイから乗り込んだ、デブのアメリカ人がどなりだす。このアメリカ人の態度に、自分達の悪い点を知りながらも、何か腹立つ思いがした。
 朝もやの中に、アメリカ大陸が見えだし、何度も写真で見ていたGolden Bridgeが目前に現われて来ても、それ程の感激を憶えないのは、かえって不思議に思えた。
 船中の学生全体が一種の興奮状態にあった。Golden Bridge、Bay Bridgeと船が静かに進むにつれて、両岸の建物の様子がはっきりとしてくる。しかし、遠方から見ていた為もあって、東京の建物を見慣れている自分には、驚きをもって見つめるというわけにはいかなかった。

 税関の手続きが、手間どった。例の通り、佐藤君は早く終えてしまったが、荷物の上陸がおくれた自分の方は、何とも時間ばかり過ぎるだけでどうする事も出来なかった。しかし、成沢夫妻(夫人は日本クリスチャン・カレッジの卒業生)が出迎えに来ていてくれたのには、本当にうれしかった。何か、すべての重荷をおろしきったような思いだった。
 二週間振りで、日本食を食べ、動く事のないベットに横になった時は、もう身体中の疲れが流れ出ていくかの感じがした。ジーンズ先生が紹介くださった、Mr.&Mrs. Shinodaは非常にあたたかみのある夫妻だ。

★8月25日(日)
 朝早く起き出しあたりを見渡すと、全く静かなものである。東京を初め、日本中が何か音に対してマヒ状態にある程、騒音が支配している。それに比較して騒音の本家とも考えられているアメリカの朝が実に静かなものであったので、調子抜けがした。
 日系二世教会の建物は外見も内部の設備も、日本の教会に比較して、大部スケールが大きい。しかし、どうもアメリカの国旗が大きな顔をして、説教台の横に姿を現しているのは、以前から聞いていていた事とは云え、気にくわない。
 日曜学校の教会の中心になっている事を知る。やはり、教会における教育という面は、もっと重要視していかなければならぬように感じる。Adultの日曜学校に出席したが、なかなか立派な内容のものだった。礼拝のMessageもかなり高度な内容のものであり、説教者の内面的な生き方に裏ずけされているとの感が強い。
 出席している二世達は、生活がある程度安定してきているためかもしれぬが、非常に落着いた、二世という時想像される底の浅い人間とは別種の人々に思われる。
 若い青年男女にしても、彼等は全体を代表していないかもしれないが、日本で見かけるある種の青年達より、よほど日本人らしい。しかし、その物の考え方は全く、アメリカの一市民になりきっている。午後は青年達がカルフォルニア大学を初め、サンフランを中心とした見物に案内してくれる。  100Km内外のスピードでFreewayを飛ばす彼等の姿には、一世のもっている日本の歴史的重さと云ったものは全く感じられない。何につけてもスケールの大きな事は正直に認めざるを得ない。
 夜の集会で英語で証しをする。不思議な経験だった。二世とは云え、外面的には全く日本人とはかわりないのだから。